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地理統計院が「20世紀白書」発表=近代支えたイタリア移民

10月16日(木)

 【ヴェージャ誌】地理統計院(IBGE)発表の「二十世紀白書」によれば一九〇〇年、リオデジャネイロ市の人口は六十九万人、サンパウロ市が二十四万人であった。リオ市内はほとんど泥んこ道で、マラリアや黄熱病で悩まされていた。サンパウロ市は世界各国の移民でにぎわい、音をたてて工業化が進む活気ある町であった。
 お茶の水橋付近は一面の茶畑であった。世界中の移民を迎えたブラジルは二十世紀初頭、経済成長率は年々五%で世界でも活気が抜きん出ていた。まさに、今日の東南アジア並みであった。所得格差が急に拡大したのは、ここ三十年だ。
 欧米では二十世紀を、第一次世界大戦から米ソ冷戦の終えんまたは九・一一同時テロまでと区分している。ブラジルの二十世紀は、ジェトゥーリオ・ヴァルガス(GV)政権誕生からPT政権誕生までとみる。
 ブラジルはGV政権誕生まで大地主の時代で、ポルトガル植民地時代の延長であった。GV大統領が旧共和制を廃止し、ブラジル史は近代へ入った。この時代に、工業化の基礎が造られた。この時期活躍したのが貧しいイタリア移民。豚脂や紡織、製靴の生産で本領を発揮した。
 ブラジルの工業化政策は、クビチェック大統領の出現で第二期を迎える。第一期を近代化の胎動期とするなら、第二期は中流階級の政治経済への台頭といえる。
第一期は生活必需品の生産、第二期はラジオやテレビ、冷蔵庫、自動車など耐久財の生産。サッカーW杯で、初めて優勝するなど、国民が燃えた時代だった。
 第二期の特徴は五〇%の国民が財を築いた。四〇%は現状維持で波に乗れなかった。一〇%は没落した。もう一つの特徴は、お金をもうけたが貯蓄をしなかったことだ。クビチェック時代は国家の財政予算を無分別にたれ流し、天文学的インフレの原因を作った。
 軍政となった一九六四年、政府はインフラ整備に力を入れた。経済成長率は一四%まで上り黄金時代を迎えた。借金体質も定着し金利の決済に悩まされ、リセッションとインフレが同時に襲った。ブラジル経済は一九八〇年、二日酔い状態となりみぞうの所得格差を生み出した。
 所得格差は一九九〇年、富裕者一〇%が貧窮者一〇%の資産に対し九十倍所有したのをピークに暫時是正された。二〇〇一年には四十七倍まで格差は減小した。格差是正のため教育に力を入れた東南アジアに比べ、ブラジルの指導者はまだ認識不足であった。
 経済成長率は一九七三年は世界一であったが、一九九九年には九十三位に落ちた。二十世紀は終了したが、いまだ国家経済の欠陥を発見できないでいる。
 国内総生産(GDP)は世界で十五位だが、上位のカナダやイタリアなどの生産能力を、ブラジルは見くびっていた。インドや中国など問題だらけの国に、GDPで追い抜かれる始末だ。

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