北パラナ・ローランジアのパラナ移民センターの敷地で、さきごろパラナ州開拓神社(仮称)建立の地鎮祭が行われた。移民百年祭の記念事業なのに、こんなにも早く地鎮祭の運びとなったのは、「着手しよう」という強力な推進力が働いたからだ。「善は急げ」とばかり一世たちが進めた▼仮称でも神社だから、地鎮祭は神道でいくのかと思ったら、そうでなかった。仏教の僧侶が先導した。いかにもブラジルらしい、なんでもあり、である▼だが、開拓神社建立の発案者たちの趣意によれば、脱宗教色の建造物なのだから、先導がだれであれ、かまわないことはよく理解できる。むしろ、日本人の信仰の本来に帰ったような気がする▼地鎮祭式典で、導師が般若心経を読誦し、参会者たちが唱和しているとき、祈りを込めて五穀が建立敷地に埋められた。米、麦、大豆のほかの二つはフェイジョン、ミーリョだった。ここでも、「おぉ、ブラジル!」と、感心せざるを得なかった。フェイジョンはまったくブラジルらしいではないか▼工事は今年中に始まる。神社の完成は早まるだろう。建立を主唱し、推進した一世たちの今後のつとめは、子孫たちに理解者を得て、建立の趣意を継承してもらうことだ▼神社に祀る「移民の恩人」については理解が得られるにしても、納める農機具五種をなぜ「五種の神具」としたか、その根本的なことをわかってもらうのは容易ではない。これこそ、子孫に伝えていきたい〃原点〃である(神)
03/10/31