11月1日(土)
【フォーリャ・デ・サンパウロ紙28日】サンパウロ市で欠かせない交通手段の一つとなったメトロ(地下鉄)は、1972年9月6日、軍事政権時代に開通した。当時、初めてメトロを走らせた運転士のアントニオ・ラザリーニさん(52)が、そのときの思い出をフォーリャ紙の同市450周年記念企画連載で語っている。
サンターナ駅―ジャバクアーラ駅間(以下、南北線)のメトロ開通式典はその日に行なわれたが、実際に市民がメトロを利用できるようになったのはその2年後の1974年9月14日である。
ラザリーニさんが運転した電車「33号」は、今でも毎日南北線で見ることができる。すでに、月まで往復4回行けるだけの290万キロを走った。
ラザリーニさんは現在、運転部補佐として活躍しており、33号と同じく、定年退職は考えていないという。「ここで自分のキャリアを築き、親友もつくった。自分の妻も元メトロ職員です」と話す。
当時の交通手段はバスと都市圏電車のみ。時間通りに来ないなど、現在でも見られる問題をこのころから抱えており、市民は不満に思っていた。そんな時にメトロが開通。「早くて便利なメトロをサンパウロ市民に提供し、公共交通手段に対する考え方を変えたかった」と、当時の職員らの思いを語る。
ラザリーニさんはサンパウロ州タバチンガ市(サンパウロ市から北西330キロ)出身。サンパウロ市に上京してきた本来の理由は「軍警の試験に受かりたかった」。
試験の結果は不合格。その後、航空会社ヴァリグで、飛行機の機械担当者として働いた。その時に、メトロの仕事が舞い込んできたという。
陸軍将官エミーリオ・メジシ元大統領(1969―1974)が開通式典に出席するとあって、メトロの職員ら全員が警察の検査を受けた。「本当は大統領がメトロに乗る予定だったが、大統領の身が危険にさらされる恐れがあったため、来賓席から発進ボタンを押すだけとなった」という。
発進ボタンは、ただブザーを鳴らすためだけのもの。実際に電車を動かしたのは、ラザリーニさんの発進レバーだった。「観客はみな、あのボタンで電車が発進したと思ったことだろう」と微笑む。
式典前の試験走行で初めてジャバクアーラ駅内のトンネルに入った時には、皆緊張していた。「トンネル内はゆっくりと走行した。壁にぶつかったりしないかどうか確かめながらね。トンネルの中で電車がつっかかって、出られなくなるのが怖かったから」。