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南米発 放浪の料理人 日本食を探る=(3)=コロンビア パルミラ=醤油づくりを50年=四世の女性しっかり継承

11月1日(土)

 麻薬、ゲリラ、誘拐など悪い噂がつきまとう国コロンビア。しかし、コロンビア人は底抜けに明るく親切である。また、日本にも非常に強い関心を抱いている。ここでも日系の人々が生活している街があった。
 コロンビアのパルミラは、移住計画が行われたところであったが、治安の悪化もあり、近年は近くの街カリに移るか、日本に帰る人が増えた。実際、パルミラに行くと、何処に日本人がいるのかわからない。数家庭が残るのみである。
 ここで五十年近く続く醤油屋の老舗、手島さんを訪ねた。「手島醤油」は、輸入物より安いし、味もコクがあっていい、と評判である。工場を見せてもらった。作業場も貯蔵タンクも家庭内の一角にあるが、整っており衛生的だ。大豆が発酵され熟成された香りが漂う。醤油は一~三年かかるので、商売にするには根気が必要である。同じく豆腐も作られているので醤油をかけていただいた。どちらも大豆の味が凝縮されたなつかしい味だった。
 「祖母は九州にいるときから、醤油づくりが得意でした。しかし、移住したときは材料も機材もすべて試行錯誤から始めました」、「亭主が酒屋の息子で、麹作りなども横目で見て、薄々覚えていたのが助かった」と言う。大豆加工の素人ではなく、基礎は持っていたわけである。はじめ家庭内で作り、近所に配ったことから評判があがり、売って欲しいとの要望が増えたそうだ。
 母の代で商品化に成功、そのまま、現在まで五十年近く続けて来た。四世の娘たちにも麹の作り方から教え込んで手伝わせている。今後も安泰であろう。
 現在、コロンビアの日系社会は後継者問題にも直面している。ただでさえ少ない日系人口の中、日本文化離れの若者が多いという。日本語学校に来る生徒もほとんどコロンビア人である。日系人協会の会員も年々減少しているらしい。そんな中、婦人会の行った料理教室などの文化交流事業に現地コロンビア人が多く参加。新しい活動の展開が期待されている。
 日本食も日本文化もまだコロンビアではほとんど知られていない。日系協会の横で、付属農事試験場で取れた無農薬有機農業の野菜直売店がある。店をあずかるウィリアム氏は大の日本食好きで、料理研究家でもある。
 訪ねると「ネギ、ニガウリ、ナス、サシミもあるよ」と話しかけてくる。店内で調理して一部味見をさせてくれた。「もっと、いろんな食材を使った日本料理を習いたい」、「このニガウリは他にどうやって食べたらいい?」と非常に研究熱心である。かつてほかの国々でもこのような親日的現地人が日本人との架け橋となって、日本食が現地に広まっていったのだろう。これからの新しいコロンビアと日本文化の融合を期待したい。(つづく)