11月4日(火)
ボリビア・サンタクルス市から百三十八キロ西に向かった所にサンフアン移住地がある。首都ラパスに比べ、こちらは低地で蒸し暑く、ブラジルに来たような錯覚を覚えた。
農協や日本ボリビア協会の人たちに工場や農園を案内してもらった。サンフアンは長崎出身の人が半分近くを占めるためか、市内に二件あるレストランでは野菜たっぷりの長崎チャンポンがあった。客四人は皆それを注文していた。曰く「何よりもこれが一番美味しい」。故郷の味なのだろう。
その一つのレストラン・オダさん方では純日本式のパンも作っている。クリームパン、ジャムパン、アンパンなど、懐かしのメニューだ。日本ではオランダやイギリス、フランスなどの欧州系のパン屋が流行っており、正直言って、私もアンパンを食べるのは何年ぶりであった。しかし、食べると同時に美味しさと懐かしさが記憶に呼び戻された。子供の頃に母親の買い物に付き添い、ねだって買ってもらって食べたパンの味であった。
パン作りの指導はここの息子さんがしていた。一度日本のパン屋に研修制度で行って習い、帰ってきてそれを伝え、再びさらなるパンの修行に私費で出かけているとのこと。留守を預かるお母さんは「ボリビアは小麦粉や湿度が違ったりして、時には失敗することもありました」「しかし、息子は徹底して純日本式のパンにこだわった。少しでも納得できないものは店には絶対に出さなかった」と言っていた。
サンフアンでは小麦の生産と製粉も行っている。百トン・クラスの巨大な乾燥機とサイロが並んでいた。大豆の乾燥や油の抽出も行っている。
ここの婦人部が中心となって、二〇〇三年に行った料理展示会の作品集を見せてもらった。現地産の豆を利用した甘納豆やアンコの作り方、ユカ(キャッサバ)芋を使ったユカ餅、熱帯の川魚、テラピア(テラスズメ科)を使った酢漬けや、サバロ(コイ科)とジャガイモで作ったハンバーグ、〃ジャガサババーグ〃など、日本人の知恵と現地の材料を生かした独特の料理が数多くあった。
日本人は数少ない材料からそれを利用して新しい料理や加工食品を作り出す天才だと思う。工夫して新しいものを作り出す才能は料理に限ったことではないが。それは単に思いつきや偶然でできるものではなく、子供の時からの基礎教育や発想能力、それらが基となっているのである。
最近の日本の子供たちは全て整った社会の中で育っているため、そういう苦労をして工夫するという力が衰えてきているように思える。移住地には工夫と創造の生活があった。
詳しくはホームページhttp://www.geocities.co.jp/Foodpia/9158/index.htmまで。(つづく)