11月6日(木)
【エポカ誌】ルーラ大統領の末妹のルッチさんは、サンパウロ市の地方公務員試験を受け呼び出しを待ち、ようやく一小学校の雑役婦として採用された。田舎から出聖したころは自由に兄の所へ遊びに行けたが、今は種類の違う人たちに囲まれ遠い人になったと嘆く。
兄がサンパウロ市長の結婚式で媒酌人を務めたことは、知っている。しかし、市長に会ったことは一度もない。サンパウロ市ではとかく北東伯出身者に対する取り扱いはぞんざいで、「私は大統領の妹だ」と叫びたい衝動にかられる。しかし人々は、大統領の妹が学校の便所掃除をするはずはないと嘲笑するだろうとやめた。
ジャイメ・イナッシオ・ダ・シウヴァさんは、ルーラ大統領の一番上の兄さんで六十六歳。年金だけでは生活ができないので、サンパウロ市の町工場で働いている。朝四時に起きてサンベルナルド・ド・カンポ市郊外の自宅から、満員バスにもまれながら、三時間かかって通勤する。
持病の神経けいれんで悩まされる。バス停まで何度か道端で休みながら行き、職場へたどり着く。一センターボでも大切にする。弟の大統領が、ブラジルを改革するのを待っている。
昼食は仕出し弁当を食べたいが、四・五レアルは重荷になる。コッシーニャ(コロッケのような揚げ物)二つで、空腹を紛らす。サンドイッチを食べることもあるがコカコーラを飲むと、お金が足りなくなるので我慢して水道の水を飲む。
バスの中では再々、大統領をののしる会話を耳にする。自分は大統領の兄で何かを手伝おうというと、大統領の兄がバスに乗るはずはないと取り合わない。
伯母のコリーナさんは七十四歳、ルーラ氏が大統領に就任してからは会っていない。おいが大統領になったのは、誤りだという。平和な暮らしをしていたのに、なぜ大統領になり皆から悪口をいわれなければならないのかと首をかしげる。給料は大切に使い、つまらないことに浪費するな、いいことは長く続かないと、大統領に説教する。
コリーナさんの家は大統領の出身地カエテスのセルトンにあり、水道も水洗便所もない。国道で数時間もバスを待ち十五レアルを払って診療所へ着いたが、医師は来なかった。二十日後、出直して来いというのだ。動けばよいから自動車を一台くれとおいにいう。大統領はサンパウロ市へ行かなかったら、毎日マンジオッカを食べていたろうといった。
三番目の兄ジョゼ・F・メーロさんは、毎日TVドラマとサッカーで人生を楽しんでいたルーラ氏を労働組合へ引っ張りこんだ人物。軍政時代は宗教活動の傍ら共産党に入り、政治警察(DOPS)に毎日、拷問されていた。