ホーム | 連載 | 2003年 | 〔角田歳丸〕=地域社会に尽した日系市議の草分け | 〔角田歳丸〕=地域社会に尽した日系市議の草分け=49年グァピアーラ市議=夏蒔きトマテを特産物に

〔角田歳丸〕=地域社会に尽した日系市議の草分け=49年グァピアーラ市議=夏蒔きトマテを特産物に

 カッポンボニート市(SP)から曲がりくねった山道を車で四、五十分。グァピアーラ市は山間にある人口約二万人の町だ。かつて日本人移住者はこの地で、夏蒔トマトの一大生産地を築き、サンパウロ市場の七割を供給した、と言わしめた。が、ほかの産業が育たなかったことから、若者は都会に流出して農村は疲弊。さらに、現地日系社会はデカセギの波にも飲まれ、再来年の入植七十周年を前に、今ひとつ元気がない。ここに古里をつくりたいと、ある日系市議が夢見、奮闘した。

 「死んだ主人の年金額は、月三百三十レアル。家族に残してくれたのはこの家と周囲の土地だけ」
 簡素な住宅の台所で、角田めぐみさん(七五、東京都出身)は少々興奮気味に、年金受給証を取り出して見せた。
 グァピアーラ初代市会議員、グァピアーラ農協クラブ初代会長・顧問、コチア産業組合カッポンボニート事業所評議員、日系人野球クラブ会長……。
 夫、歳丸は生前、様々な肩書きを持った。聖南西単協理事長時代(六〇年代半ばから三期九年)、会の維持運営が軌道に乗るまでは年金保険に加入しないと言って入らずじまいだったという。
 もちろん、高額の掛け金を払おうと思えば可能だった。「現に旧コチア組合の理事の中には、月に数万レアルを手にしている人もいる」。歳丸は組合員の生活を最優先に考えたのだ。
 めぐみさんの年金や給与を含めて、収入は千レアル弱。子供たちの支援を受けながら、つましい生活を送る。

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 歳丸は、広島県東広島市出身の和一氏(故人)の四男として、一九一三年、カンピーナス市近郊で生まれた。聖サンフランシコ学園で学び、法曹界を目指していた。カフェが暴落、実家が直撃を受けたため、中退。農業に従事した後、運送業を営んだ。
 標高七百五十メートルのグァピアーラが、夏蒔きトマト(一月~四月)の好適地だと見抜き、研究を重ねて、栽培方法を確立。同地の特産物にまで仕上げた。
 トマト景気の噂は全国に広がり、サンタ・カタリーナ州、マットグロッソ州など他州から、日系移住者が押し寄せてきた。
 歳丸氏は、日系人口が増えていくのが一番の喜びで、入植者が来るという知らせを受けると、農地の開墾など下準備を手弁当で手伝ったという。

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 グァピアーラは四八年にカッポンボニートから分離して市に昇格した。翌四九年一月、初の市議選が行われ、町の名士だった歳丸は出馬、当選。六三年までの三期、市議会に籍を置いた。
 移民史上、田村幸重氏が四八年、サンパウロ市議に補欠から繰り上げ当選したのをもって、日系初の市議とされる。
 「サンパウロとグァピアーラでは人口が桁外れに異なりますから、もちろん、格は違いますが、主人は日系で初めて一発当選を決めたのよ」とめぐみさんは胸を張る。
 日系市議六人が歳丸の後に続き、デカセギが顕著になるまで、日系の議席を確保。今なお、現地在住の移住者たちの誇りになっている。一部敬称略。(古杉征己記者)