11月12日(水)
「私の日本刀に銘はない。独学で製法を学んだ私は、銘をつけることが出来ない」。四十年間、刀製造に従事し十一月で八十歳を迎える石田富三さん(七九)だが、姿勢は謙虚そのものだ。師を持たない石田さんは、刀匠や研究家の書籍を読むなどして独学で技を身につけた。「一度日本に行き刀匠に会い、ブラジルで日本文化を伝える許可が欲しい」と常々語っている。
日本文化伝承が使命
一九三四年、石田さんは九歳で「あふりか丸」に乗船し、アリアンサ移住地に配耕された。十代の頃から、鉈などの製造をおこない当時から器用な石田さんは刃物づくりの技術を身につけていた。現在の柄作りの際に使うグァイビーラの木は、この頃に見つけたものだ。その後、モジ・ダス・クルーゼス市に進出しトマテ作りに取り組むも失敗。サンパウロで時計修理業やマッサージ業に従事して口を糊した。
日本刀製造のきっかけは四十年前、リベルダーデの土産物屋を訪ねたときだった。お土産用日本刀の刀身の形や柄糸の結び方がでたらめだった。「自分で作ったほうが良い物が出来ると思った」ときっかけを振り返る。以後、日本文化伝承を使命として、刀匠への道を歩んでいくことになる。
生涯を刀に
ブラジルで最も苦労したことは、日本刀ならではの反りを出すこと。「日本刀は玉鋼などの和鉄でなければ出来ない。ブラジルでは代用品として『炭素鋼』を使っている」と鉄の違いがその原因のようだ。反りを解決するために編み出した策が三つ。あらかじめ逆に反りを付けること、粘土で囲み熱の伝わりを弱めること、針金で刀身を固定することだ。これにより、日本刀の曲線を手に入れた。現在では、長男の協力により、あらかじめ反りを計算した炭素鋼を使っている。
石田さんの仕事は刀身を作るだけではない。日本刀製造の全過程、はばきを作る白銀師(刀装具の金具すべてを作る人)、鞘を作る鞘師、拵(こしら)えを作る柄巻き師などを、ほぼ一人でこなす。「全ての、材料を国内で揃える。しかし、鞘に塗る漆が手に入らず、ニスにやむなく変えている」と少し残念そうに語る。
顧客は非日系で道場の指導者が中心。「日系人からの注文は殆ど無い」と眉をひそめる。ブラジル国軍の将校がよく自宅を訪れ、何時か軍刀を作って欲しいとの要請もある。
日本刀に関わる多岐にわたる能力を生かして、将来は刀の再生も考えている。「ペルーやアメリカには、戦前の貴重な刀が多いと聞く。そこに行って、生涯を刀の再生に費やすのも一つの手かな」とまだまだ元気だ。
内助の功
およそ五百本の日本刀を鍛え、一本が一千ドルの値をつけるまでに。「売れるようになったのは、八十に近づいてから」と答えるが「それまでの道のりは苦しかった」と苦笑い。
石田さんは、五十年にわたる結婚生活をおくる糟糠の妻、美佐緒さんがいる。美佐緒さんは、ギリシャ霊数学占いの達人、日本に呼ばれ女性社長などに多くの顧客を持つ。四十年間、日本刀への挑戦を続けた石田さんだが、妻の助けは欠かせなかったのだろう。「私がこうして来られたのは、妻が占い師として経済的に支えてくれたから」と職人の顔を崩した。
(佐伯祐二記者)
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