二百年前にブラジル初到来を果たしたのは、四人の陸奥国人だったが、残念ながら宮城県人会からの式典参加はなかった。「急な招待だったから調整できなかった」とは中沢会長の弁。
SC州と青森県の姉妹州県提携の関係で、青森県人会のイナ会長は姿を見せていた。また、文協の吉岡黎明副会長は、肝心の式典が終わった翌日の土曜日午後に姿を見せた。日本文化週間二日目の記念夕食会には間に合ったものの、関係者は舞台裏で落胆していた。
ニッポ・カタリネンセ協会としても初めての大規模イベントだっただけに、認知度が低かった感は否めない。にしても、裏方としての小原少将の活躍なくしては、これほどの祭典は不可能だったとは、関係者の一致するところのようだ。(深)
03/11/12