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コラム 樹海

 邦字紙から活字が姿を消して久しいが、その昔は漱石の小説や新聞記事も力が漲り盛り上がったような活版印刷が主流であった。小学校の教科書「サクラ サクラ」も力強い活字が躍っていて頼もしいの感覚が今もなお残っている。活字文化は一般的には目立たないし地味な存在ながら、あの仕事は厄介で難しい。ある種の「職人芸」なのである▼原稿を手にした職人は活字を一つまた一つと拾う。この作業をしているときに職人の手は漢字が二万か三万字は入っているだろう文字盤に向かうけれども、目は原稿にだけ注がれる。これはもう「手技」としか言いようがない。これで一分間に七十も八十字も活字を拾い小さなケースに収めて難行を繰り返しながら「小組」と「大組」と進んで印刷に回る▼こんな活字芸人が藤本憲造氏である。生まれたときから活字と一緒に遊んできたような人物。「活字職人」をもって自らも任じていたような痩身を鉛の世界に埋め尽くした仕事ぶりは速く手堅い。所謂―「職人」なのである。何処までも何処までもが胸の奥にひっそりと秘めやかな「芸」を誇る気質の「職の人」であったのもいい▼仕事が終わった後のビール一杯が楽しみであり、このときには口もかなり軽くなる。田舎の自慢料理から軍隊生活の話。日本での活版屋暮らしの裏話―を素朴に訥々と語る。恐らく、コロニア最後の「活字職人」に違いない。パウリスタ新聞の工場長を務め活字文化に生涯を捧げた希有の人である。惜しい人を失ったのは辛い。大腸腫瘍のため十日に死去。享年八十六。  (遯)

03/11/13