11月20日(木)
造園業に携わって三十年、スザノ市在住の石橋弘善さん(五七、二世)は、サンパウロ州内はもとより、遠くはポルト・アレグレ市まで、庭園造りに飛び回る。ピラシカーバ農大を卒業、一九七四年、熊本県費技術研修生として、八ヵ月間、現場作業から設計まで学んだ。その後、知人の紹介で東京の著名な作庭家、小形研三氏(故人)に師事。ペルーやハワイ、オーストラリアなど世界中で活躍した小形氏のもと、四ヵ月の短期間にも関わらず、造園の基本中の基本をたたき込まれた。
夢の実現
弘善さんの仕事は、ほとんどが個人の邸宅であり、一般公開されていない。そのなかで、約八年前に改修工事を行なったレストラン「サントリー」の日本庭園は、弘善さんの技術をあますところなく見ることができる。
「五十年経っても、あまり変わらない庭を造りたかった。日照の関係で、植える植物に気を遣った」と弘善さん。「庭造りで一番大切にしていることは、家の主人の夢を実現してあげること」という。
主人の希望を聞き、想像を膨らませ、造園に取り組む。「枯山水など、意味は石であったり、池や宇宙であったり様ざま。だけど、意味をつけたら、それは芸術ではなくなる」。観賞する人がそれぞれ、意味を感じ取ってもらってこそ、「庭」になる。
侘びと寂び
剣道が趣味の弘善さんは、かつて、「日本で剣道の先生に『侘び、寂びの侘びって何ですか』と聞いたことがある」という。剣道師範は、松尾芭蕉の俳句を例えに、侘びとは何かを説明してくれた。
『古池や 蛙飛び込む 水の音』――。
夕暮時、蛙が古池に飛び込んで、水面に波紋が広がる。その波紋が暁色に揺れながら、消えていく様。それが侘び――。
感銘を受けた弘善さんは、芭蕉の「奥の細道」を辿り、奥州、北陸各地を訪ね歩いた。そして、以前は五十個の石を使って派手に作っていた庭も、近年は、石をポイントにとどめ、質素な作風になった。「豪華でキンキラキンではなく、言われないと分からないもの」。弘善さんが作る庭園には、微妙なバランスを保って侘びと寂びが同居している。
目指すは、作庭家
日本庭園専門家として、ブラジルメディアからも引っ張りダコの弘善さん。時々、庭師を集めて講演会を開くが、その時、必ず訴えかけるのが、「絵は古くなるだけだが、庭は発展する。三年後、十年後はどうなるか考えながら、造園しなくてはならない」ということ。「植栽の手入れ、管理を間違えたら、庭は崩れてしまう」とも。
十月末、サンパウロ市カンブシ区パウロ・オロズィンボ街の個人邸宅。高層アパートからの目隠し用ヤシの木、その中に和風のツツジ、木蓮、クチナシ、ナンテンなどが植栽され、巨石を組んだ滝と作りかけの池が横たわっている。ブラジル人たちの作業を見守りながら弘善さんは、「私の庭を見た人が、『和』の大切さを学んでいただけたら…と思う。それは見えるものではなく、感じるもの。そこに生きがい、自分の仕事の価値があるのでは」と語った。
「Jardineiro(庭師)ではなく、Paisagista(作庭家)を目指したい」という弘善さんの言葉が印象的だった。
(門脇さおり記者)
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