11月26日(水)
二十日午後に文協小講堂で開催された横森正樹さんの講演内容をもとに、著書『夢の百姓「正しい野菜づくり」で大儲けした男』(白日社、二〇〇二年)を参考にしながら、「農業は儲かる! そして将来性がある!」と言い切るその哲学と理論、〃正しい農業〃にかける熱い思いなどを概観してみた。
【横森正樹(よこもり・まさき)】一九四〇年長野県生まれ。一九六三年から一九六五年までアメリカで農業研修。六七年に結婚。電気部品家内制工業をはじめるが、農業への思いやみがたく、七五年に専業農家に。八五年前後に炭と木酢に出会う。国内外の研修生を多数受け入れ、新規就農者育成に力を入れる。現在、長野県国際農友会幹事、㈱信州がんこ村代表取締役など多数の役職を務める。著書『夢の百姓「正しい野菜づくり」で大儲けした男』(白日社、〇二年)。同書は高野書店(11・3209・3313)で予約受付中。
長野県の東端、八千穂村で百姓をやっています。海抜一千メートルで、いわゆる高原野菜の産地です。夏は白菜、キャベツなど。冬場にはマイナス一〇度、時には二〇度にもなり、地面が二十センチも凍るような土地です。ブラジルは三回目です。
自分の人生はバラ色だったので、それを日本全国、世界のみなさんに体験を伝えたいと思ってきました。
私は昭和十五年(一九四〇年)に百姓家の長男として生まれました。おじいさんはブラジルに移民しようと一時期考えたこともあったそうです。そのおじいさんの意思を継いで、百姓になりました。父は百姓嫌いでしたから。
中学卒業と同時に、すぐに百姓を継ぎ、二年目におじいさんが無くなった。今考えれば、何かを急いでいたのかもしれない。農業が好きで、田んぼと養蚕、養豚をやっていた祖父の言われるままに、堆肥作りから作物の作り方まで勉強した。それが後に大変役に立った。
二十二歳で、学校の代わりにアメリカに三年間、農業の勉強に行きました。家族や自分の人生を大事し、農家であることに強い誇りをもった彼らのやり方にとても影響を受けました。帰ってきたら高度経済成長。父の勧めで〃仕方なし〃に二年間勤めました。でも、会社では自分の能力を発揮できなかった。妹よりも給料が安かった。結婚しても、食っていけないわけです。
それで、自分でプラスチックの成型をやったら、サラリーマンの十倍も儲かりました。でも、自分の中では、農業への思いが燃えていたので、昭和五十年から農業を始めました。オイルショックがあって、畜産・果樹など、いろいろな農産物の分析をし、何をやったら、自分の人生を楽しく暮らせるかを考えました。
それが、野菜でした。野菜は四カ月の休みがあるからです。
現在、私たち夫婦、息子夫婦、研修生二人、短期研修生二~三人でやってます。研修生は全部面接し、相手の条件は一切受け入れません。還暦が退職時だと、三年前に息子に全部渡し、後は恩返しと思ってやっています。
農業といっても、給料は公務員並みを、年一回は家族で慰安旅行、退職金(自分で貯める)は三千万円、相応の年金を目標にやってきました。借金と補助金は嫌いだから、いっさい受けたことないです。やればできるんです。(つづく)