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東方に生きる~ウルグアイ日系社会事情(1)=初めて皇室の一員迎えて=一世ら「感無量です」

12月2日(火)

 日本から飛行機で約三十時間――。ブラジルとアルゼンチンの間に位置する南米の小国が持つ正式な名前を知る人は少ない。ウルグアイ東方共和国。その名の通り、大陸東部にある国土の大半は、牧草地が占める。その面積は南米最小だが、他の南米諸国同様、日系社会が根付いている。実数は不明だが、推測では約五百人。ブラジルやアルゼンチン同様、花卉栽培や農業に従事するのが特徴だ。四世の代に突入し、着実に発展してきた日系社会も、後継者不足や世代間のギャップ、出稼ぎによる空洞化などブラジル同様の問題を抱えている。東方の小国に根を張った日系社会事情を報告する。 
 「感無量です」「頑張ってきてよかった」――。土色に日焼けした顔を紅潮させた年配の一世は、一様に喜びを口にした。
 皇室として初めてウルグアイを公式訪問された紀宮さまが、日本人会を訪問した十七日。モンテビデオ市内の日本人会館には、約百人の日系人が紀宮さまを出迎えた。日ウ両国旗が掲げられた会場には、一九二〇前半から始まった農業などによる開拓に奮闘する日系人の写真パネルが展示され、長年にわたって土と格闘してきた日系人の苦労を静かに物語っていた。現在の会員数は約百人。およそ百五十家族が、五百人近い日系社会を構成するとみられる。
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 さかのぼること九十五年、ウルグアイにおける日系社会の原点は偶然にも、ブラジルに最初の日系移民が到着した一九〇八年のことだった。
 滝波商店モンデビデオ支店を開設するためアルゼンチンから渡った坪田静仁氏が記録に残る第一号だ。
 政府レベルの移住協定がなかったため、日本から直接ウルグアイを目指す移民はほとんどなかった。大半がブラジルやアルゼンチン、パラグアイからの再移住者で構成されるのがウルグアイ日系社会の特徴だ。
 「どんな形でも入国さえすれば、保護してくれるのがこの国のいいところ」と一世の会員は口を揃える。
 実際、こんなエピソードがある。
 二三年にモンテビデオ港に寄港した日本海軍の軍艦「浅間」から一人の日本兵が脱走。引き渡しを求めた日本側に対し、ウルグアイは断固と拒絶し、この男性をウルグアイ電力会社に就職させるなど手厚い保護をしたという。
 各国からの再移住者で徐々に人数を増やしたウルグアイに最初の日本人会が誕生したのは三三年。会員数わずか二十二人だった。その後、新組織への発展的解消や太平洋戦争の開戦による活動停止などを経て、六七年に第四次日本人会が創設され、今に至っている。
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 この日、紀宮さまから労をねぎらわれた一世の会員は、約五十人。いずれも花卉栽培や農業などに従事しながら、日系社会結束のために奮闘してきた歴戦の勇者だ。そんな会員らが「この人が会の礎の一人」と口を揃える重鎮がいた。
 日系社会最年長となる飯原農夫さん(八五)だ。
 飯原さんも「転戦」してウルグアイに渡ってきた。三二年に渡伯し、モジアナ線のサンタ・テレーザ植民地に入植。三六年にはパラグアイのラ・コルメナ移住地に移り住んだ。
 「鍬を引くと手の皮がズルズルに剥けて、そのうち骨が見えると思った」。十四歳で開拓の苦労を知った飯原さんを支えたのは、一旗挙げて日本に帰る、という気持ちだけだった。
 ラ・コルメナでは綿や米、ジャガイモ作りに明け暮れたが、内陸特有の蒸し暑い気候が北海道育ちの飯原さんを苦しめた。
 暑さ故の病気に悩んでいた飯原さんは六一年にウルグアイに再移住。モンテビデオ市内で、未経験だった花卉栽培に全てをかけることにした。すでに数多くいた先輩農家が、一から教えてくれたという。「借地で出来た花を両手で抱えながら、バスに乗り市場に行ったもんです」と飯原さん。
 六七年に現在に至る第四次の日本人会を立ち上げた時にも、飯原さんは中心の一人となった。
 パラグアイ国籍の子供六人とウルグアイ国籍の孫十人を持つ飯原さんにとって安住の地がウルグアイだ。「気候もはっきりしているし、ここが一番いいね」とキッパリ。
 最年長の重鎮は、日系社会とともに生き続ける。
(つづく、下薗昌記記者)

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