12月6日(土)
今年四百六十五周年を迎えるイグアッペ。その歴史を振り返れば、ブラジル初の金鋳造所でまず栄え、次いで稲作で名をはせた。戦後はバナナの産地としても有名だった。
市議を三回務めた柳沢ジョアキン喜司さん(八〇)は〃バナナ移民〃の導入に尽力した一人。「一九六〇年代には奥地の日本人にイグアッペ周辺への入植を働きかけた」。その数、三百家族とも。
最盛期には二百万本以上のバナナがその大きな葉を揺らしたが一九八〇年代に転機が訪れる。度重なる水害だ。「リベイラ川がせき止められたことが原因。多くの日本人はあきらめて、離れていった」と野村会長は経緯を説明する。
時は移り、マラクジャ、シュシュ、ココなど、いかにも熱帯らしい産品がいまのイグアッペを支えている。これ以外で注目を集めるものにカムカムがある。
ビタミンCの王様として知られる。原産はペルー。農協のアウシデス・サントス代表(五四)によると、「日本への輸出を狙ってフジモリ大統領が植付けを奨励していた」果物だ。
ジュースやシロップ、化粧品などに加工されるのが特徴。その将来性に目をつけ、すでに栽培に乗り出した日系農家もいるようで、「イグアッペのタカハシが千五百本、レジストロのササキは五千本も植えている」とアウシデス代表。
カムカムの里、イグアッペ。日本人移民ゆかりのこの土地がそんな風に呼ばれる日も遠くはなさそうだ。