12月17日(水)
自閉症――。脳の障害によって生じるこの病気について、正しい理解を持つ人は少ない。「心の殻に閉じこもりがちな人々」といったイメージを思い浮かべがちな自閉症だが、その症状は様々だ。そんな自閉症児の教育に全てを賭けた女性がいる。一九九四年、自閉症児教育を専門にウルグアイに開校したモンテビデオヒガシ学校で、子供たちの自立や指導制度の確立に奮闘したJICA専門家、三枝たか子さんだ。開校十年目の今年十二月、初の卒業生を送り出した三枝さんは、近く日本に帰国、その経由地となるサンパウロで十八日に講演会を開く。十年間に渡って南米の小国に足を運び、自閉症児とその親に希望を与え続けた三枝さんの足跡を辿る。
「ようこそ、プリンセサ」――。今年十一月のある日、モンテビデオ市内の閑静な住宅街の一角にあるモンテビデオヒガシ学校に、生徒たちの力強い声が響きわたった。
同国を訪問中の紀宮さまは、一九九四年からJICAの専門家派遣によって自閉症児の自立に向け活動している同校を視察された。
この日、六歳から二十歳までの生徒十四人は、教師の熱心な指導の元、国語や音楽など授業の様子を紀宮さまに披露。三枝さんの指導が着実に根付いていることを示した。
自閉症は決して奇病ではないが、その理解は十分とは言えないのが現状だ。
確率上では、一万人に十五~二十人が自閉症を持ち、日本では現在、約二十四万人が自閉症だという。
脳の障害が原因となる自閉症は、(1)言葉の発達が遅れる(2)対人関係がうまく持てない(3)同じことを繰り返したがる――といった特徴を持つ。
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モンテビデオヒガシ学校。一風変わったこの校名は、学校や家庭での生活を通じて、障害を克服し将来的に自立を目指す「生活療法」を生み出した東京都の武蔵野東学園にちなむ。
今年三月に退職するまで、三枝さんは三十六年間、同学園で自閉症児の指導に当たった。
六七年に日本女子体育短期大学保育科を卒業後、三枝さんは同学園の下部組織に当たる武蔵野東幼稚園に就職する。
「当時、日本一重いと言われていた自閉症児がいたんです」。自閉症児を題に卒業論文を書いた三枝さんだが、同幼稚園に自閉症児がいるとは知らなかった。 当時、自閉症児は家庭でも社会でも「邪魔者」扱いで、置かれている境遇は劣悪だった。そんな自閉症児を献身的に指導していたのが、同幼稚園の創立者で園長だった北原キヨさん(故人)だった。「常に子供を中心に考えていた先生をみて、私も手伝おうと思ったんです」と三枝さん。
健常児と自閉症児がともに学び合う「混合教育」と自立を促進する「生活療法」を特色に持つ同学園で、三枝さんは自閉症児教育のノウハウを身につける。
その後、高等専修学校まで設置された武蔵野東学園を、二〇〇二年度までに高等専修学校を卒業した自閉症児は四百二十人、半数が通常の就職先を得ている。
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「三枝先生が来てくれて、自閉症教育の全てが変わった」。モンテビデオヒガシ学校を実施機関として持つ「ウルグアイ自閉症児教育財団・希望」の会長マリアナ・ディエゴさんは三枝さんの功績に最大限の賛辞を送る。
ただ、モンテビデオヒガシ学校が開校するきっかけとなったのは、自閉症児を持つ親らの熱情だった。
自らも同校で学ぶ十九歳の自閉症の息子ロドリゴさんを持つマリアナさんは、ロドリゴさんが幼いころから、よりよい教育施設を探していた。
ウルグアイで従来行われていた自閉症児教育は、フランスで生まれた「受容型教育」で、「生活療法」とは対極的にあった。子供を自由にさせる一方で、時には行動抑制剤や睡眠薬を用いるなど、子供の自立を促すには程遠い手法だった。
九〇年、ウルグアイ自閉症児父兄協会の事務局長を務めていたストッツさんは、息子ヘルマンさんのために世界各国の自閉症教育を研究。その中で、「ボストン東スクール」という米国からの報告書と出会う。
武蔵野東学園が米国で生活療法を実施するため開校した拠点で、副校長を務めたのが三枝さんだった。
(つづく、下薗昌記記者)