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日本人移住百周年 戦後移民どう関わる=現状はかやの外=「移民が催してこそ移民祭」

新年号

04年1月1日(木)

 ブラジル日本移民百周年記念祭典協会(上原幸啓理事長)が昨年、正式に発足し二〇〇八年の日本移民百周年に向けて、動き出した。しかし、戦後移民の動きはやや鈍い。「参加しない戦後移民」の烙印を押されながらも、昨年七月には戦後移住五十周年記念式典を成功裏に終えただけに、その勢いを百年祭につなげたいところだ。ただ、現状では祭典協会の主要な役回りは二世が固め、戦後移民の存在感が見えない。「移民が関わってこその移民祭」だけに、戦後移民がどう関わっていくのか――。コロニアの各界の見方をまとめた。

■文協中心の体制に疑問

 一九九八年に行われた移民九十周年祭まで、従来コロニアではブラジル日本文化協会(文協)が、運営の中心的な役割を果たしてきた。
 昨年九月に発足した祭典協会は、文協とは全く別組織の団体として全伯的な取り込みを図ろうと生まれた。ただ、現状は上原文協会長を初め、執行部が「横滑り」で祭典協会を仕切る形となっており、一世の存在感は限りなく薄いのが実態だ。
 「日本とブラジルにとっての祭典なのだから、それぞれの国に顔が利く人材が必要」「大学教授ばかりで、大丈夫なのか」――などと二世中心の現体制に疑問が投げかけられているのは事実。そうした声を現執行部はどう受けとめ、求心力を強めていくのか。
 「移民百周年は、コロニアが踏み歩んできた百年の過去でもある。当然、コロニアを築き上げるに至った一世の存在は欠かせない」
 四歳で来伯した救済会理事の大浦文雄氏は、一世不在の百周年祭はあり得ないと断言する。
 ただ大浦氏は、現在の二世が中心となった体制の背景には、一世にも大きな責任があると指摘する。
 「これまでのコロニアは各団体がバラバラで求心力がなく、しかも将来的な視点がなかった」
 大浦氏は、百年祭を機に一世がこれまで築き上げた来た組織や施設を二世に受け継がせる絶好の機会だと考える。
 「デカセギブームによるコロニアの空洞化なんて誰も予想できなかったはず。未来のことは分からないんだから、まずコロニアが歩んだ過去をきっちり見据え、どう現在に反映させるかが重要では」と大浦氏。
 百周年では「箱物」などにこだわらず、県人会や各地の文協、福祉団体を整理統合する場にするべきだと主張する。
 「創立者の世代には思い入れがあるから無理でも二世、三世ならば整理統合し、さらに発展させることが可能だ」
 そんな大浦氏が百年祭に向け、是非とも存在感を発揮して欲しいと願う二世がいる。
 サンタ・クルース病院理事長の横田パウロ氏だ。
 百年祭の記念事業の締め切りが迫った昨年十二月初め、横田氏は同病院の増築など四案を柱とした同病院独自の百周年記念事業を提出、記者会見を行った。
 「高齢者が多い県人会にとっても医療は大きな問題。是非協力していただきたい」――記者会見の数日前、興味深い伏線が張られていた。横田氏は県連の臨時代表者会議に足を運び、各県人会長らに計画への理解を求めた。
 「移民百周年なら、都道府県から県人会に金が出るはず。こうした金をまとめて大きな事業に活用したらどうだろう」
 横田氏の発想は、合理的に物事を考える二世ならではのそれだ。また、大浦氏が描く日系団体の整理統合とも合致する。
 二世へのバトンタッチを念頭に置く大浦氏も、現体制には不満を隠さない。
 「雑草のように自分の力で根を張ってきた一世の根性は不可欠。渡部さんや吉岡さんら日本語も話せる二世が中心なのにどうして会合はポルトガル語だけなのか」
 言葉が不自由な一世の疎外感をなくすためにも、会合は日本語とポルトガル語で行うべきだ、と大浦氏は強調する。
 「必ずしも文協主導で祭典をしなくても成功する」
 文協会長の上原氏が、そのまま祭典協会のトップに座る現状に、疑問を投げかけるのがブラジル日本都道府県人会連合会(県連)顧問の網野弥太郎氏だ。
 その根拠となるのが、九五年に日伯両国を挙げて挙行された日伯修好百周年記念事業だ。
 サンパウロ日系協力委員会が残した報告書には名誉委員長に田中克之サンパウロ総領事、委員長には南米銀行名誉会長だった故・橘富士雄氏の名が並ぶ。
 「八十周年祭までは文協は一世の独断場。文協会長がリーダーシップを発揮したから八十周年は成功した」と網野氏は当時を振り返る。
 しかし、一世主体のコロニアのピークは七八年に皇太子殿下ご夫妻(現天皇陛下)を迎えた七十年祭だった。十年後の八十年祭当時では、すでに一世の割合は日系人口の約十三%で、コロニアの本流は二世以降の代に移っている。
 「山内さんが会長になった九一年の時点で、私も二世時代が始まったと思った。ただ、山内さんが会長だった当時の九十年祭など大きな行事は成功したとは言い難い」と当時、県連会長だった網野氏。唯一の例外が、橘氏が委員長を務めた修好百年事業だけだ。
 現在の祭典協会の中枢部を文協幹部が占めることについて、網野氏は厳しく指摘する。
 「史料館の赤字や会員減少などただでさえ文協は問題まみれ。そんな文協幹部が中心の現体制で本当にガップリと取り組めるのか」
 また、サンパウロ大学教授など学者中心の体制についても「定款作りに二年もかけて、セオリーだけ先行するのが二世。トップは清廉潔白な人物でいいが、実務に長けた事業家や政治家は不可欠だ」と看破する。
 こうした一世の見方について、文協改革委員長で現在の文協執行部に大きな影響力を持つ渡部和夫氏は「決して一世を排除しているつもりはない。祭典協会には県連会長の中沢さんも日本語センターの谷さんも顔を並べている。松尾さんだって戦後移民でしょう」と反論する。
 二世以降の世代がブラジル社会で活躍できるのは、一世が「ジャポネース・ガランチード」としてブラジル社会の信頼を勝ち取り、さらに教育にも力を入れてくれたお陰、と渡部氏。さらに言葉を続け、「日系社会は一世の犠牲と献身の上になりたっている。そういう意味でも一世に参加してもらわないと、百年祭の意味はない」と一体感の重要性を指摘する。
 一世の参画が少ないとの批判については、「どうしてそういう声が上がるのか。私たちにはそんなつもりはない。祭典協会の顔ぶれを見ても、副理事長には各団体から一世が顔を並べるはずだ。参加の意思がある戦後移民はもっとはっきり意思表示して欲しい。大歓迎しますよ」と切り返す。
 ただ、渡部氏自身も文協改革を進めた昨年来、数多くの戦後移民のグループと接したが、やや消極的な姿勢を感じたとは言う。
 百年祭までの今後四年間には日本の歴史や文化を振り返るシンポジウムや座談会を通じた「百年の検証」が不可欠だと考える渡部氏。「歴史を振り返る場面では必ず一世の力が必要となる場面があるんです。また、いくら上原さんは日本語をうまく話しても、やはり日本との交渉は一世でないと無理」と世代にとらわれない一体感を求めている。
 「二世からも一世的だと見られていた山内元会長の時代には、世代交代のバトンがきっちりと渡っていなかったのが、今まで尾を引いている。次の百年祭こそ日系社会がまとまる大きなチャンス」
 二世のリーダー格となる渡部氏は百年祭を機に、次代を見据える。

■戦後移住者協会に期待

 高齢化した戦前の一世と比較して、まだまだ現役として活躍できるのが五三年以降に渡伯した約七万人を数える戦後移民だ。
 参加しない戦後移民――長年、コロニアでは決まり文句のように唱えられてきた言葉だが、初めて戦後移民がまとまった存在感を見せたのが昨年の戦後移住五十周年式典だった。
 式典を目前にした七月、戦後移住協会の依頼で講演したサンパウロ人文科学研究所理事の鈴木正威氏は「戦後移民が存在感を表す最後のチャンスが百周年」だと激励するかのように主張した。
 戦後移民が消極的だった原因として鈴木氏は(1)戦後教育の影響で個人主義的、功利主義的、小市民的な価値観を持つ(2)戦前の一世が戦後移民を自らの後継者と見なしていなかった――などと解説。また具体例として、南米銀行に勤務した戦後移民七十人のうち、誰一人として重役に就いた人間がいないことなどコロニアにおける戦後移民の位置づけを再検証した。
 「このままでは移民不在の百年祭になる」と危惧する鈴木氏は、五十周年式典を成功させた戦後移住者協会の今後に大きな期待をかける一人だ。
 「今まで一度も公共の場で貢献したことがなかった戦後移民が初めてまとまったのが五十周年式典。そういう意味では画期的」と賛辞を送る一方で、今後の課題も提示する。
 コチア青年連絡協議会や工業移住者協会など一部団体の関係者で構成される戦後移住者協会が、幅広い層から人材を集め名実ともに戦後移住者を代表する必要がある、と鈴木氏は言う。
 「戦後移住者協会から、祭典協会に人を送り込んでドンドン発言し、戦後一世の存在感を発揮して欲しい。百周年以降は二世、三世の時代が来るのだから」
 自らも戦後移民の鈴木氏の願いだ。
 そんな期待はどう受けとめられていくのだろうか。
 昨年、戦後移住五十周年式典委員長を務めたコチア青年で現県連会長の中沢宏一氏は「何もないところから何かをつくる『開拓魂』こそが一世の強みだ」と力を込める。
 また、一世と二世以降の世代では日本に対する思い入れが違う、とみる中沢さんは「百周年は日本のためにもなる事業や行事を行う必要がある。そのためにも日本との強力な繋がりを持つ一世が、積極的に関わるべきだ」と戦後移民の積極的な参加を求める。
 一方、自らも中沢氏らと共に五十周年式典の挙行に力を入れた工業移住者協会長の小山昭朗氏は、対照的にやや冷めた見方を持つ。
 元々、描いていた構図はこうだった。
 「五十周年式典を機に、戦後移民の結束を固め百周年に繋げていく」
 ただ、一昨年の委員会立ち上げ当初から「一部の人間だけで戦後移民を代表している」「文協に反旗を翻した団体」などのレッテルを貼られ、スタートダッシュにつまずいたのは大きな誤算。結果的に、その他大勢の戦後移民を取り込めなかった。「動きながら、大勢を巻き込むつもりだった。ただ、余りにも最初に叩かれ過ぎたから……」と言葉を詰まらせる小山氏。
 従来コロニアにある「足を引っ張ってやろう」との悪癖が、戦後移民のやる気を削いだ側面は否定できない。
 しかし、小山氏も百周年には戦後移民も含む一世が関わる必要があるとの信念は変わらない。
 「百周年は移民にとっての記念日で、二、三世の記念日ではない。両親や祖父母のために二世らが祝うのは当然だが、一世を除いた式典はあり得ない」と強調する。
 課題は鈴木氏も指摘した戦後移民の体質だ。
 「戦後移民はインテリが多く、確固たる意見はもっているが行動が伴わない。そうした層をどう仲間にしていくかが悩みの種です」
 ひとまず式典を成功させたにも関わらず、今の小山氏の心境は複雑だ。
 百周年に向けては、まずは新たに旗振りをしてくれるリーダー探しが、今の課題だという。
 百年祭に向けた体制が固まりつつある今、戦後移民が早急に団結し、存在感を示す必要があるのは誰もが認めるところだ。それでは、比較的若い世代の戦後移民の意識はどうなのか。
 七八年に来伯し、約二十年間に渡って日本語教育に従事してきた日本語普及センター事務局長の丹羽義和氏は「当初は日本の会社を背にブラジルに来た。コロニアを軽く見ていたし、関わるつもりもなかった」と当時の心境を振り返る。
 こうした心情は戦後移民の多くに共通する。
 小山氏も言う。
 「日本の枠から飛び出してきた戦後移民にとって、どうしてブラジルに来てまで日本のしがらみに悩む必要があるのかと思う人間が大半のはず」
 日本語教育というコロニアと切っても切り離せない世界で活躍する丹羽氏は、二世の子を持つ親の立場で言う。
 「百年祭という特別な感慨はないが、ただ若い日本人が知らない移民の歴史などはしっかり伝えていきたい」
 また、丹羽氏は日本語に関わる人間ならではの視点を持つ。「どうして県費留学生などでブラジル人が日本に行くことが出来るのか。デカセギも同様だ。それは日系だから」とルーツの再確認の必要性を強く訴える。
 そうした意味でも、百年祭には、日系社会を代表する施設が不可欠だと考えている。
 「子供が『ジャポネス』と言われて、自らのルーツを探りたくなった時にすぐに足を運べる場所が必要でしょう」
 丹羽氏は戦後移住五十周年協会を「熱心だった」と評価する一人だが、戦後移民の弱みをこう分析する。
 「一人一人が農業や商業で個人的にトップに立つだけに、自分一人で物事を決めて突っ走りがち。そのため組織として動きにくいのではないか」
 「誰もが戦後移住の代表と認めるリーダーづくり」と「祭典協会に人材を」送り込む確固たる組織運営」が百周年に向けた戦後移民の課題となる。

■〝世代〟議論はナンセンス

 移民史料館館長として日系社会史を専門にする二世の大井セリアさんは、一世抜きの百年祭にしてはいけないと主張する。
 「私たちはここ史料館で日系社会のルーツを扱っています。その観点から言っても、百年という一世紀に及ぶ日系社会の歴史や記憶をしっかりと振り返る必要があるのです」と百年祭の意義を説明する。
 さらに百年祭では一世と二世がキッチリと役割分担を果たすことで後世に大きな財産を残せる、とセリアさんは力を込める。
 「大きな施設をつくるのは、ブラジル社会にパイプを持つ二世が中心となるのは仕方ない。ただ、歴史やルーツを固めるのは一世にしか出来ないことです」
 それでは、日本人である一世と「日本人の顔を持つブラジル人の」二世が協調する際の課題を、二世の側はどう見るのだろうか。
 IMPLICITO(暗黙の了解)とEXPLICITO(ハッキリ言う)――日伯の文化の違いが摩擦を生むとセリアさんは考える。
 「言葉の違いもあるが、一番の問題は一世と二世の考え方の違い。遠回しに物を言う一世の手法は、私たち二世には伝わりにくく、心の中が見えにくい」
 一方、生まれこそ日本だが、九歳で来伯、ブラジルで人格形成をした祭典協会理事長の上原氏は個人的な意見と前置きしながらも「ブラジル社会全体で〇・八%しかいない日系人なのに、一世か二世かを議論するのはナンセンス」と断言する。
 「一世が朝から晩まで百姓や八百屋をして犠牲になってくれたからこそ、今の我々がある。百年祭は老いた一世に光を当てる場だ」
 渡部氏同様、日系社会のルーツに敬意を表す気持ちを前面に打ち出す。
 ただ、「問題山積の文協には百年祭をやる余裕がない」との網野氏の指摘については「文協だけでも正直大変。それだけに今後は幅広い層に祭典協会に加わってもらうつもりです」と話す。
 「本当に加勢できる人間なら、戦前戦後を問わず大歓迎ですよ」
 十六歳で来伯し、大学で法科を修めた後ブラジルに帰化した文協副会長の松尾治氏は、一世と二世の心情を理解する貴重な存在だ。
 「最初に入植したリンスで、一世と二世が対立するのを目の当たりにした。その原因は言葉の違いによる意思疎通の不足。私は法科へ進んだが、それはむしろポルトガル語を学ぶためだった」
 松尾氏も上原氏同様、戦前や戦後の一世、二世といった区別は否定的だ。
 「どうして戦前戦後などと移民を分ける必要があるのか。本当にやる気があるのなら積極的に参加して欲しい。我々は本当にオープンに考えています」

一、二世どう協調し合う

 百周年まであと、わずか四年。フェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ前大統領政権下で一時期、対日広報担当を務めるなどブラジル政財界に通じた遠山景孝氏は、百周年は日系社会が結束を固める大切な機会だと指摘する。
 「一世だ二世だと主導権争いをしている場合ではない。ユダヤ系やアラブ系などのように日系社会としてまとまる最後のチャンス」
 遠山氏自身、これまでは「出る杭を打つ」傾向があるコロニアとは一線を画してきたが、六〇年に来伯してから四十三年が経過。早くからブラジル社会に溶け込んで活躍してきただけに、その人脈を生かして一世と二世の橋渡しを担いたいと考えている。
 実際、昨年末にサンタクルース病院理事長の横田パウロ氏が、百周年記念事業の提案について記者会見を開いたときも、まず相談を受けたのが遠山氏だ。
 「ブラジル社会で日系が占めるのはわずか〇・八%。そうした現状の中、どうやって存在感を増していくかが肝心。今までの祭典のように日本だけに顔を向けていてはダメだ」と遠山氏は早急な世代交代の必要性を説く。
 だが一方で、上原氏らサンパウロ大学教授が祭典協会の中枢を占める現状にも警笛を鳴らす。
 「学者が多いことは、一世が教育に力を入れた証で大いに誇るべき。ただ、学者は形式論にこだわり、きれいごとが多い。大きな行事を動かすには、政治家のような交渉に長けた人が必要だ」と遠山氏は言う。
  ■あと四年■
 日系社会の中枢を二世が担うのはごく自然な時代の流れであることは万人が認めるところだ。
 今でもコロニアの結束が高いパラナ州日系は、すでに百年祭も単独で行うことを明言。その自信の根拠はやはり、九八年の九十年祭で一世と二世が見事に協調しサンパウロを大きく上回る三万人規模の式典を実現させたことにある。
 移民百年祭につなぐ――当時から十年後を見据えたパラナーでは見事に一世から二世への世代交代に成功、百年祭では二世らが中心となることがコロニアの総意となっている。
 パラナーの九十年祭に出席した網野氏は、当時すでに十年後の百年祭を見据えたモニュメントを設置したパラナーのコロニアの先見の明に感嘆する。
 ブラジル最多の日系人を抱えるサンパウロのコロニア ――。世代を問わず、誰しもが「一枚岩になる最後の機会」ととらえる百年祭は確実に迫っている。二世はブラジル社会でのネットワークを最大の武器とする二世をどうサポートしていくのか。百年の節目を振り返る「日系社会の生き証人」としてだけでなく、移民を送り出した日本とのつながりを保つ一世なくして「世紀」の大事業は成功しない。
 農業や商工業、スポーツ界などにもコロニアに新風を吹き込んだ戦後移民。最後のご奉公の場として百年祭を選ぶのは悪くない。