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デイケア始めて3年=「お年寄りの話聞くだけでも」

新年号

04年1月1日(木)

 高齢化社会が進めば、老人ホームだけで対応するのは無理、当然、在宅介護支援(通所介護、ホームヘルプ、ショートステイ)が不可欠となる。日系団体は、デイケアーサービス(通所介護)に動き始めたところ。だが、実際、デイケアーを実施している団体と言えば、数えるほどしかない。
 デイ・サロン、シャローム(サンパウロ市パライーゾ区、福浦利明代表)はいち早く、在宅支援の必要をキャッチして二〇〇〇年十月に、事業をスタート。週に二回、通所可能な人を受け入れて、軽体操や工作を楽しんでいる。
 大志田寿さん(六九、岩手県出身)は、創立メンバーの一人。女性がスタッフの主流を占める中にあって、貴重な男手だ。
 「お年寄りがここまで、通ってこないといけないでしょう。そうしたら限られた人しか利用できない。バスを運行させるとかして、広く皆が使えるようにしなければダメ」。取材を申し込むとずばり、課題から切り込んできた。
 「デイケアーを始めます。ボランティアスタッフ募集」――。二〇〇〇年九月、邦字新聞に一本の広告が掲載され、大志田さんの目に止まった。「いったい、何の宣伝だろう」と思って、主催者に連絡、説明会に出席した。
 シャロームはサンパウロ福音教会を利用、関係者には教会関係者が多い。そのため、宗教色が強いのではないか、と一時入会を迷ったが、「デイケアーは布教と関係ない」と聞かされ、創立メンバーに加わった。
 「社会の助けがあったからこそ、今の生活を築くことが出来た。これから、老いていく身。高齢者と接したら、健やかな年の取り方が分かるような気がした」
 大志田さんは五四年に単身で移住、サンパウロ・パラナの州境で植民地の造成に参加した。事業が行き詰まり、上聖。職を転々とした後、旧コチア組合に勤務、その後、ヤンマーに転職し九一年二月に定年退職した。
 第二の人生に踏み出したものの、特に目的があるわけでもなく、暇を持て余していた。「何か社会的なことをしたかった。でも、それが何か分からなかった」。そんな時、シャロームが産声を上げた。
 軽体操、歌、工作などプログラムの進行をサポートするのが毎回の仕事だ。午後は自由時間になり、視力に問題のある高齢者に新聞や書籍を読んで聞かせる。このほか、年に四回発行する会報も、大志田さんの担当。
 利用者の生き生きした表情を見るのが楽しみだ。「何かしてあげているなんて、おこがましくて言えない。人生の経験はお年寄りたちの方が上。話を聞いていると、勉強になります」と謙虚な姿勢も忘れない。
 今後の目標は――、「家に閉じこもりがちな人は多いはず。だから、ほかの場所にもこういう空間をつくりたい」。