一九三四年、ちょうど七十年前の夏の話である。
日本人移民なら農業の時代、画家を夢見た高岡由也と玉木勇治はリオで本格的に絵を学ぼうと思い立つ。しかし持ち金などない。とりあえず唯一の財産である腕時計をはめた若き二人は無一文、歩いてゆく。
玉木が帰聖後も高岡は残る。国立美術館の倉庫で寝泊りするなど芽が出るまでは随分辛酸をなめている。幸いにして同じ夢を追いかける仲間には恵まれた。イタリア系二世のパンチェッティもそのひとり。
「海を描かせたらかなわねぇ」と高岡も舌を巻いた水夫の画家だ。そのパンチェッティが、「同志で友の高岡へ」と題し贈った絵がいま、FAAPブラジル美術館(アラゴアス街九〇三)で展示されている。
その脇には高岡、玉木そして半田知雄、桧垣肇らの肖像画が並ぶ。いずれも美術館が昨年購入したもので、大半は一九三五年のサインがある。「聖美会」が設立された年の情熱ほとばしる作品群である。(大)
04/01/20