1月28日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙、フォーリャ・デ・サンパウロ紙二十七日】ブラジルの主要伯字紙は、ジョゼ・ジルセウ官房長官が二十六日、「ルーラ大統領がインド訪問で留守をしている間に、大統領の代わりに〃政府の統括役〃となって仕事に専念している」と報道し、同長官を〃スーパー大臣〃扱いしている。この評価にジルセウ長官は「わたしをクビにさせたいのか。大げさな報道は止めてくれ」と訴えており、内閣改造前のルーラ大統領との緊迫した雰囲気がまだ、解消されていないことが伺える発言をした。官房の権力縮小の裏に見られた大統領と官房長官の微妙な〃ズレ〃とはどのようなものだったのか?
現在、ジルセウ官房長官は、連邦政府の新旧大臣や与党の幹部役らと会談し、〃椅子取りゲーム〃(内閣改造)によって、すさんだ大統領府の雰囲気を和ませ、亀裂を埋めようと努力している。
ジルセウ長官は内閣改造で、官房の役割の一部を政策調整省に取られ、官房の権力を半減されている。しかしながら、同長官が本来ならば副大統領がやるべき仕事をこなしていることがマスコミの注目を集め、〃ジルセウ長官の羽伸ばし〃のように報道されている。
官房長官の役目としてルーラ大統領は、保健省や運輸省など問題の多い省庁を治めるようにジルセウ長官に頼んだ。だが、政府を代表して交渉の場に出たり、政治面で指示したりといった実際に同長官が求めていた政治調整の役割は政策調整省に回されてしまった。
ルーラ大統領とジルセウ長官の関係がぎくしゃくし始めたのは二〇〇二年十二月ごろ。それから大統領は幾度となく、ジルセウ長官に対して自重を促していた。
当時、ジルセウ氏は、ブラジル社会民主党(PSDB)の大統領候補だったジョゼ・セーラ氏を支持していたブラジル民主運動党(PMDB)の旧幹部と交渉し、国家統合省と鉱山動力省をPMDBに渡すと約束していた。だがルーラ氏は、間際になって撤回。同長官は苦い思いをしていた。
ルーラ氏は、国会表決時などでPMDBに頼らなければ可決できなくなるような状況に陥ることを懸念していた。一度省庁をPMDBに譲れば、国会で重要な事項を表決する際、政令などの政策的な交渉を度々強いられると思ったからだ。
一九九七年のカルドーゾ前大統領政権時、PMDBの大臣らは、再選法案での票買い疑惑に対する査察委員会(CPI)の発足に大反対し、政府をてこずらせたことがある。ルーラ氏はそれを忘れてはいなかった。
PMDBは地方に勢力はあるが、政府の中枢にいなければそのまま消滅しかねない弱さがある。それを見抜いたルーラ大統領は、年金改革案および税制改革案という政府の正念場とも言える法案を可決してから、PMDBを閣内に入れることを考えた。
昨年五月、二度目の意見の食い違いがあった。内閣改造交渉が行き詰まり、ジルセウ長官はPMDBの大臣を即刻内閣に入れるよう、ルーラ大統領に強く求めた。だが大統領は、「まだ早い」と再び同長官を押さえ込んだ。
同年十一月、ジルセウ長官はまたしてもルーラ大統領の機嫌を損ねた。三度目の件では、大統領のアフリカ訪問中、上院止まりになっていた改革法案の可決を焦ったジルセウ長官が、PMDBとの交渉を完全に済ませようと無断で話を進めていた。しかし帰国した大統領に、「十二月十五日までに内閣改造を済ませることはできない」と反対された。しかも同長官が南米の軍事問題に関する発言までしたため、ルーラ氏は「これは大統領の仕事だ」と戒めた。
ルーラ大統領に冷たくされたジルセウ長官は当時、高血圧症にかかり、心臓専門病院(INCOR)で心臓検査までした。以来、同長官はマスコミを避けるようになり、「最後の決断はルーラ大統領が下す」と強調するようになった。
大統領は先週、ジルセウ長官について「全ての省庁の〃共同運営者〃となるばかりか、予算支出の管理にまで口を出した」という内容の発言をしている。実際、同長官が関与した昨年度の予算支出は停滞し、行政活動を遅らせた。
そこで、容易にジルセウ長官の言いなりにはならない、実力派の下院リーダーであるアウド・レベーロ下院議員(PCdoB=ブラジル共産党)を政策調整相に指名したと思われる。ルーラ大統領は、ジルセウ長官の〃スーパー大臣〃というイメージに不快を感じているのだ。
一方、現在大統領代理のジョゼ・アレンカール副大統領は、リオデジャネイロ市の公立病院に自分の親族を公務員試験なしで雇うよう頼んだ疑いがかけられており、その問題に対して声明書を出そうか出すまいか、悩んでいるという。ジルセウ長官が積極的に大統領府の雰囲気緩和に努めている理由の一つにこの事情も関係しているようだ。