1月30日(金)
テレビの番組を作るスタッフの仕事振りを想像してみよう。それぞれに仕事の分担がありながら、他の者の仕事にも関心と理解を持ち、それぞれの仕事の間に空白を残さない。そしてその後、どこかで飲んで、食べて、喋って、仕事を煮つめて行く。このようなパターンはごく普通にみられる光景である。
販売関係の仕事をしている人によると、訪問先の応接間や社長室に飾られてある額に書かれてある字句では「和」の字が最も多いのそうだ。それは有名な寺の僧侶が書いたものであったり、書道家が書いたものであったり、有名な議員先生が書いたものであったりで、「和」ひと文字とか「以和為貴(和を以って貴しと為す)」などがあるという。殊更こういう文字を掲げるところを見ると、日本でも、自己主張や人と人と互いに相容れない問題があるのだろう。しかし、日本の社会おいて「和」は、理想的な人間関係の非常に重要な要素と考えられている。
こちらが譲れば相手が一歩出てくる社会、お互いが主張して譲らない問題が後を絶えず、この問題を解決する弁護士の大変多い社会に比べれば、相手の出方に合わせる人間関係を良しとする社会は「和」を重んずる社会と言える。
冬のある日、中小企業の昼休み、ストーブを囲んで何人かの職員がほとんど話もせずに座っている。しかしそこには何とも言えぬ和やかな雰囲気が漂っている。このような光景に接した外国人が、どうして会話もなくそのような和やかな雰囲気が保てるのか不思議に思うそうである。
没個性と言えば消極的な言葉に聞こえるが、和を作り出すには没個性も必要なのだろう。
「察しがよい」「気が利く」「思いやりがある」などほめ言葉としてあるのをみて分るように、相手の気持ちや希望を先取りすることが日常普通に行われる社会である。即ち、相手への自己同化が日本人にとっては美徳ですらある。日本の文化では、自分を相手に没入させ、自他の心情的隔たりを超越する傾向が強く表れる。
日本では個性を突出させることは嫌われる。職場などで派手な服装をして目立つことは
人間関係に不適当と見られ、無難な服装を心がける。主張すべきは主張してその上で判断を仰ぐというのは日本人の好むやり方ではない。
このような人間関係に見られる側面は、相手に同化し、ひいては甘えることに馴れてしまう。自己を相手に投影し、相手に依存する。そして相手もこちらに同調することを期待する。
「和」の持つ積極的な面として、個人の突出を抑制して調和を作り出す。反面、没個性、相互依存という消極的な人間関係に陥る危険がある。(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)