1月31日(土)
サッカーのジッコ(日本代表監督)、建築家のオスカー・ニーマイヤー。世界的な著名人である二氏が、日本移民百周年記念事業のために一肌脱ぐ―。そんな夢のような話がリオデジャネイロの日系社会で持ち上がっている。実現すれば、ブラジル・メディアの注目を集めること必至で、〃百周年の主役〃を自負するサンパウロにとっては目の覚める一撃となりそうだ。いったいどんな企画があるのか、リオ州日伯文化体育連盟の鹿田明義理事長に聞いた。
マラカナン・スタジアムでの日本とブラジルのセレソン(代表)による親善サッカー試合――を当初は計画していたが、スポンサー問題など障害が多いということで断念。いまは、ジッコ氏との縁を頼りに、鹿島アントラーズとフラメンゴの日伯クラブ・チーム対決が議論の俎上に乗っている。
日本移民記念碑を作る案もある。設置場所は同スタジアム内が有力視されるが、複数の可能性を残す。しかしデザインはニーマイヤー氏に依頼することで決定。優美な曲線を持った前衛的な作品が期待できそう。
両案とも交渉の手ごたえは十分。というのは、二氏はともにリオ日伯文化協会(モアシィ・バロス会長)の名誉会員だ。特にニーマイヤー氏は一九五七年に設立された協会の黎明期を支えた一人とされる。
鹿田理事長も「コンタクトがあるので、話は進んでいる」と、自信たっぷりに語る。
リオでは二〇〇二年の年始から、連盟を中心に地元日系三団体(商工会議所、日伯文化協会、日系協会)および総領事館の間で百周年事業について話し合いを重ねてきた経緯がある。その委員会も「サンパウロより早く立ち上げた」。
一応、サンパウロのブラジル日本文協協会(上原幸啓会長)が牽引する百周年祭典協会にも名を連ね、定期会合にも出席しているが、あくまでも「独自路線」を強調する姿勢を崩さない。
「ほかにもまだ暖めているアイディアがあるが、サンパウロで公にするわけにはいかない。いずれにせよ後世に残る事業を、と考えている。例えば、修好百周年(一九九五)のときには、ジャルジン・ボタニコに日本庭園を造った。毎日世界から多くの観光客が訪れている」と鹿田理事長。
リオ市の日系三団体と連盟傘下にある二十三地方の日本人会、そして、州内に住む約一万五千の日系人で力を合わせ、節目の大事業に取り組んでいく構えだ。