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コラム 樹海

 二月八日。百年前のこの日、帝国海軍は旅順港と韓国・仁川沖のロシア艦隊と交戦し世界史の大きな転換点となる日露戦争が始まる。この戦争では日本海海戦の提督・東郷平八郎や旅順を攻略した乃木希典将軍など幾多の英雄が活躍し東洋の小国だった日本を大国に押し上げた。日本海の海戦を実質的に指揮した海軍少佐・秋山真之参謀も忘れ難い▼世界最強とされる露のバルチック艦隊を壊滅した戦法を創案した名戦術家とされ今も軍事史に光り輝き語り継がれるそうだ。駐ロシア日本公使館に武官として勤務していた明石元二郎陸軍大佐の働きも大きい。ロシアの革新勢力と接触して謀略活動を行い革命を惹起させる運動を展開した功績は、日露戦争を彩る裏面史を豊かに冷たく飾る。あの戦争は朝鮮半島を巡る日露の争いであり日本の大陸進出の足掛かりでもあった▼戦争には勝ったけれども、日本の辛勝である。軍費もなく戦略物資にも事欠くような戦争なのを知る国民は極めて少ない。戦争の始まる前年の国家予算は二億六千万円。それなのに日露戦の戦費は十七億円にも達した。国内の国債だけでは足りずに高橋是清(後に蔵相)が外債募集に英米を回って七億円を集めたりもしたのである▼ポーツマス条約に臨んだ小村寿太郎外相の苦心もある。南樺太は割譲させたが賠償金はゼロに国民は怒り火付けや新聞までが「拙劣外交」を非難したのである。あれから百年。東郷はトルコでタバコの名になりブラジルでも同じ現象があったと聞く。  (遯)

04/02/06