文協児童絵画教室は、ことし四十一回目だった。よくぞこれほど続いてきたものだ。参加児童は近年、減少傾向にあり、今回は激減したという。二十七人だった。少なくないじゃないか、という向きもあろうが、教室創設期は文協ビル大サロンにあふれる百数十人だった。引率してくる母親たちにも熱気が感じられた。主催者の文協は、参加者募集を途中で締め切っていた▼なぜ、減ったのか。講師の感じ方は「絵を描こうという情熱、ハングリーさがなくなってきたような気がする」。ほかにすることがたくさんあるから、選択された結果ともいえるだろう。選択したのは誰か。親である▼親が絵画教室に通わせようとすれば、大半のこどもたちは喜んでそうする。親は、絵画教室の創設期のころとは世代がかわり、より豊かになっている。四十一回(四十一年)といえば、二世代近い隔たり。創設期の生徒が自身のこどもを通わせる世代である。自身が学んだ絵画教室より、もっと必要なものがあると選んだ結果だ。それは、例えば、日本語を学ばせるより英語を、といったふうな……▼主催者は、一月のフェリアスを有効に過ごさせよう、こどもたちの情操をより豊かにする手伝いをしよう、の趣旨で絵画教室を四十一年も続けてきた。フェリアスの楽しみ方も四十一年前とは大変わりに違いない。生活に余裕ができたことにより、シチオで過ごすとか、旅行に時間を使う。主催者はそろそろ役割が終わったなど言い出すのだろうか。(神)
04/02/11