2月24日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十一日~二十三日】サンパウロ市(サンパウロ市)のカーニバルが二十日と二十一日の夜間に開催された。この二日間のデスフィーレ(パレード)は、サンパウロ市第一リーグのエスコーラ・デ・サンバによるもの。今年はサンパウロ市制四百五十周年記念がデスフィーレのテーマと指定された。有力候補は「ローザス・デ・オウロ」と「ヴァイ=ヴァイ」。初日は三度目優勝を目指していた「ガヴィオンエス・ダ・フィエル」のデスフィーレ中、最後の山車が故障して事故が起こり、計七人が負傷した。二日目は雨に見舞われながらもさほどの問題はなく、美しいデスフィーレが披露された。
初日はハプニングの連続
カーニバル初日ではハプニングの連続だった。二十日午後十時五十分、最初に登場したのは「ウニードス・ド・ペルッシェ」。同エスコーラは、サンボードロモ(カーニバル会場)に到着する前に、山車五台のうち三台を橋に引っ掛けて破壊しており、十九日午後七時から修復工事を続けていた。
同エスコーラの雰囲気は緊迫し、幹部らの罵声も飛ぶほどだった。「母のように心の広いサンパウロ」をテーマ曲にアヴェニーダ(大通り)入りしたが、五番目の山車は最初から最後まで手押しで運ばれなければならなかった。
完璧なデスフィーレを披露して「三度目優勝はほぼ確実」と喜んでいたガヴィオンエス・ダ・フィエルの幹部らも、最後の山車の故障で優勝が手中から逃げていくのを痛感した。
計7人が負傷
最後の山車のハンドルが突然故障し、通路からずれてスピーカーを直撃。その下にいた観客一人が負傷した。この山車の運転はのろのろとなり、デスフィーレの進行速度にも影響を出した。
コリンチアンスFCのファンを象ったこの山車は、出口前でサンボードロモの門を曲げ、時計台を倒し、山車のファンの腕も破壊された。落下した巨大な腕に当たった六人のデスフィーレ参加者が負傷。この時点ですでに八点の減点処分となり、同エスコーラ幹部は第二リーグ落ちにならないかと心配している。
「一年間の苦労が水の泡だ」とガヴィオンエス会長のロナウド・ピント氏は嘆き、カーニバル参加者らも「あんなにきれいだったのに」と大泣きした。
悲惨な初日とは違い、二日目のデスフィーレは目立った問題もなく進められた。有力候補の「ローザス・デ・オウロ」と「ヴァイ=ヴァイ」も二日目にデスフィーレを行った。
ローザスは二十二日午前零時三十五分にデスフィーレを開始。市内のさまざまな彫像を山車で表現した。デスフィーレを開いていくコミッソン・ダ・フレンテも、銅像を真似ていた。色鮮やかなローザスのデスフィーレでは、日本移民を象徴したアーラも見られた。
ヴァイ=ヴァイのテーマは、同エスコーラ発祥の地であるベシーガ区の歴史。ルイ・バルボーザ通りの劇場街やトレーゼ・デ・マイオ大通りのボヘミアン街、またパウリスタ大通りも紹介した。ベシーガ区はイタリア移民が多い地区なので、ファンタジーアにも国旗の赤、白、緑が映えた。
四千八百人がデスフィーレに参加したヴァイ=ヴァイは、六十五分という短いデスフィーレ時間を危うくオーバーしそうになり、最後の方は走るようにデスフィーレを終えた。これで減点されないかと、幹部側は心配している。
カーニバル初日で注目されたのは「アーギア・デ・オウロ」である。コミッソン・ダ・フレンテは、同エスコーラのシンボルであるアーギア(鷹)の中から登場するパフォーマンスで会場を沸かせた。