2月26日(木)
【スセッソ誌】柔道の小道場をエステティック・センターに甦らせたエジナ・オノデラさんは、零細企業が成長産業として発展するためにヴィジョンと時代感覚は重要な歯車という。しかし、歯車をモーターに接続してもパワーとスピードを出すためには、変革に対応する水平思考法が必要だと付け加えた。
零細企業を経営する人は、誰でも水平思考のジレンマに遭遇する。変革や転換には、リスクが伴う。リスクへの対処は、まさに百尺竿頭進一歩を進む心境だが、成功の処方箋はない。オノデラさんはエステティック業界の先駆者として、その冒険をやってのけた。
だが、猪突猛進したわけではない。コロンブスの卵のようだが、種を明かす。ステップは、四段階に踏んだ。第一は一九七〇年、失業して化粧品セールスをしていたエジナさんは、アクリマソンで細々と柔道場を営んでいたイクオ(小野寺郁夫)氏と知り合った。イクオ氏はスポーツには熱心であったが、経営はズブの素人だった。
イクオ氏は、海外遠征のときに道場を閉めて行く。エジナさんは、代理教師を雇い柔道を続けた。また空時間に、体操やバレーを教えた。最初は質素な教室だったが、未来のエステティック・センターの第一歩が踏み出されていた。
第二ステップは、結婚して大きな建物を賃借した。地階は柔道場、上階は体操、バレーに加え肌の手入れをする美容室を開いた。美容にコンプレッサーを取り入れ、皮下脂肪を除去する美容院の機械化に挑戦したのはエジナさんが草分けだった。新婚夫婦は、小さな一部屋で暮らした。
第三ステップは四年後、
エジナさんの美容工場は一躍有名となり新聞や雑誌で取り上げられた。女優らも常連客となり、顧客で門前市を成した。しかし、エジナさんのプランは大きく膨らんでいた。
ドル箱の美容部門を切り離し、将来性はあるが未知のエステティック産業へかけた。さらにモエーマとタトゥアッペに支店を開けた。エジナさんのもとで働いた元従業員が同業を開業し、顧客の争奪戦となった。
第四ステップは、コンサルタントの指導でフランチャイズを展開した。全伯十一都市に現在、五十店のフランチャイジーが営業をしている。競争に打ち勝つには、他に一歩先んじることだと、エジナさんはいう。