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日本文化の伝承を考える(16)=農耕民族

3月 3日(水)

  日本の文化と欧米の文化の違いを遊牧民族と農耕民族の違いに帰して説明しているのを度々見かける。果たしてそうなのだろうか。日本は確かに農耕民族の社会である。しかし東南アジアのほとんども農耕民族だ。お隣の朝鮮も、中国も農耕民族である。
 日本に来た欧米の人は、来た当初、日本人はすぐ相手に合わせるし、基本的には相手に対立する事を避け、できるだけ「NAO」とは言わないので、これは理解し易いと思う。しかし時間が経つに従って分らなくなり、韓国人や中国人の方が理解し易いと思うようになるそうだ。韓国や中国では社会の原則がよりはっきりしていると言う。日本にも儒教は入って来たが、それは教養の域を出ず、社会の体制となったことは 一度もない。李朝の儒教体制が五百年近く続いた朝鮮とは大きな違いである。
 一九七〇年代の記録だが、韓国の人口三千万のうち約一千万がキリスト教徒、日本は一億一千万のうちキリスト教徒は百万に満たなかった。日本におけるキリスト教徒の数はある一定の量を超えることはなかった。この数値は共産党の普及率と似た数値で、日本の伝統的な文化規範の中で許容できる、異なった思想や宗教の上限を示している。
 大昔、日本では狩猟採集から農耕に移って行き、二千二・三百年前稲作がもたらされ弥生式時代が始まる。東南アジアの暑い国では、稲作の苗作り、田植え、収穫の時期が決まっているのでなく、それぞれ思い思いの時期にする。日本では気候の関係上、ある時季が来れば一斉に苗作りを始め、一斉に田植えを始める。遅れれば収穫が出来なくなる。時間に合わせるため、集団内の相互援助も必要となる。農耕民族といえども、それぞれに大きな文化のちがいがある。
 聖なるものを動物とするか植物(米)とするか、移動するものと定着するもの、確かに遊牧民族と農耕民族との違いはある。しかし、ひっくるめて「農耕民族とは」と言えるほど文化規範が農耕民族として共通している訳ではない。ブラジルに来た当初驚いたことは、ブラジルではいとも簡単に土地や家を手放すことである。日本人の土地に対する執着心は、島国に住む農耕定着民族という条件の中で発達した小集団を基盤とした人間関係のあり方に由来するのだろう。
 司馬遼太郎によれば、開墾地主(武士)が政治を担い始めた鎌倉時代が中国と日本の分れ目だと言う。一族郎党という家を拡大した形の小集団ができあがって行くのもこの時代である。
(中谷哲昇カザロン・ド・シャ協会代表)