3月 9日(火)
【エポカ誌】クレオンデール・エヴァンジェリスタ(一九)君の物語は、犯罪に染まった青少年たちの更生に希望を投げかける。
サンパウロ州内陸部にある人口一万三千人のボルボレーマ市で育った彼は、早いうちから麻薬密売に手を染めた。十四歳の時に働いていたランショネッテ(軽食堂)で大麻の密売を始め、儲けた金は博打と売春に使った。 逮捕されてFebem(少年院と少年刑務所を合体させた施設)に送られた彼はそこで施設の悲惨な実状―怠慢な職員や拷問など―を体験したが、後に法学部の入学試験に合格し、その結果を踏まえて判事が〇三年一月に彼の釈放を認めた後、施設の正門から出所できた。
現在、彼は大学二年生で、奨学金をもらいながら学業を続けている。また、犯罪の誘惑にさらされながら生きる若者たちの前で十回以上講演を行った。彼の経歴の影の部分と、どのように犯罪と施設から脱け出せたかを記した著書「ルース・ノ・フィン・ド・トゥネル(トンネルの出口の光)」が三月に出版される。
「彼の物語は、チャンスがあれば若者たちはそれを手に入れることを示している」とFebem評議会のアウヴェス・ブラジル弁護士会代表は述べた。「しかし、あいにくそれはごく一部に限られるけれども」。 エヴァンジェリスタ君の幸運が例外であることは数字に示されている。昨年だけで、同施設内で三十五件の暴動が発生、六百五十五人が脱走し、七人が死亡した。それに出所後、毎月約三十人が犯罪組織や警察に暗殺されている。毎日平均四十五人が入所する一方、出所するのはわずか二十人だ。
エヴァンジェリスタ君はFebemで十八カ月を過ごした。その間、四回以上職員から殴られ、同僚たちが拷問されるのを目の当たりにした。冷水シャワーは三十秒未満、二週間に一度しか服が変えられないため悪臭が立ち込める監房の中で、小さなクッション一つを二人で分け合って寝た。
エヴァンジェリスタ君は自分の過ちを認めている。「過ちを犯したから、自業自得だったと思う。でも自分が受けた非人間的扱いには賛成できない」。入所した青少年たちは教育活動や職業訓練を受けることなく、監房の片隅で無為な時間を過ごすことが多い。エヴァンジェリスタ君が立ち直ったのは、サンパウロ市に位置するエンコスタ・ノルテ寄宿学校(IEN)に六カ月滞在した後だった。そこで彼は、音楽、コンピューター、料理を学び、勉強を始めるようになったという。「人として扱われたのはそこだけだった」。
罪を犯した青少年の更生が可能な施設にFebemが転身できるかどうか、彼の例で判断するのはまだ早い。しかし、彼の後、他の四人も同じ大学に合格し、奨学金と新しい生活を夢見ている。