永六輔さんの講演(英語ではトークショーと訳されていた)を聴いた。久しぶりにハンカチで何度も目のあたりを拭いた。なぜそうなったのか。結局、話のすべてが永さんのオリジナルだったということだろう。どれも他人が言ったことでなく、新鮮だった。説得力があった▼永さんは、サービス精神の権化のような人だった。言い方をかえれば、自分がしゃべったことを無駄なく一〇〇%わかってほしい、という意欲にあふれ、いい意味で欲張りな人だった▼開演三十分前、緞帳の前に出てきた。聴衆は目ざとく見つけた。拍手が贈られると、すぐにしゃべり出した。会場の音響を確認しながら「きょうの聴衆はどんな人たちだろう」「どの程度に話したらわかってもらえるだろうか」など、反応を見ながら的確にチェックしていった。もちろん、覚らせない。きわめて自然にそれとなく行った▼本番に入ってからは、どういう話に興味があるかを、直接たずねて拍手の〃量と質〃を自分の耳で確かめた。おざなりの拍手はすぐそれだとわかるものらしい▼噺家は、顔に表情をこしらえ、技術的に話す。脚本の存在を感じさせる。永さんのは歯切れのいい東京弁。物まねは笑わす技(わざ)として使うが、話し方に技巧をこらしているようには見えなかった▼並みの人には真似ができないことはわかっているが、人に話をするときはこうしたらいい、という教えに満ちていた。移民百年祭には招きがあれば、六度目の来伯をしたいと言った。(神)
04/03/10