3月11日(木)
【エポカ誌】軍政時代アラグアイア地方で暗殺された共産ゲリラ三十五人の埋葬場所は、謎に包まれていた。いま真実のヴェールが、ようやく剥がれようとしている。暗殺作戦に参加した退役軍人が箝口令の三十年後、探索に合意した。
初めて協力を決心した作戦参加者は、ライムンド・ペレイラ氏とジョゼアン・ソアレス氏。二人は埋葬されたというシャンビオアへ、計測器を携えた専門家や犠牲者の遺族、人権団体役員の一行に同行した。
活動の拠点を設置するため若い共産主義者たちが一九六九年、当地に集結した。ほとんどは中流階級の大学生で、ゲリラ活動には無経験な者たちであった。
陸軍に拠点を急襲されたのは、七二年と七三年の二回。七二年に同志多数が拘束され、暗殺された。七三年には土地の農民を雇い組織の中へ潜伏させ、残りの幹部らを一網打尽に惨殺した。七五年に、作戦終了を大統領が発表した。
掃討作戦は七三年のクリスマスを境に、前後二回にわたった。作戦に参加した証人の供述では、二回目の掃討作戦は若い無力なゲリラをなぶり殺しにする地獄絵巻であったという。
協力者の二人は十八歳のとき、マラバで通常の兵役義務で召集され突然拠点の真っ只中へ放り込まれた。
指揮官らは、長髪にひげを生やし私服を着用していた。兵隊たちは密林の中で動物を捕らえるように、ゲリラを追い走り回った。
ゲリラを捕縛すると男女を問わず辱め殺害するのが、毎日の式典だった。捕獲ごとに賞金が払われ、適当に穴を掘って死体を埋めた。捕縛されたゲリラは、肉の塊に過ぎなかった。現地召集で作戦に参加した若い兵隊らは、今でも悪夢にうなされているという。
協力者は、作戦立案者を呪った。協力者は目前で惨殺されたゲリラ指導者オズワルドンと六人の同志バウキリア、ドッカ、リア、ペリ、バチスタ、アウレアの埋葬場所を示した。
バウキリアはミナス国立大教育学科を卒業、全学連の副会長であった。半裸で体中あざだらけのバウキリャは墓穴の前に立たされ、下士官らが酒盛りする所で最後のゲリラとして処刑された。銃弾は故意に急所を逸らし、数発撃って穴に落ちた。後日、墓穴を掘り返したが遺体はなかった。
彼女は銀行家の令嬢として、豊かな家庭に育った。拠点には七一年、夫と共にやって来た。夫は先に殺害された。彼女は山中を逃走中、渇いて民家に水一杯を乞うたとき逮捕された。ドッカは、リオ医大を卒業。処刑を免れる条件で拠点の案内役に使われたが、最後は口封じをされた。