3月24日(水)
「当時、どういう草が生えていたか、という点までこだわっています」とは佐藤峰世エグゼクティブ・ディレクターの弁。
撮影拠点となるカンピーナスの東山農場内のセット内では、「(一九三〇年代には珍しかった車の)タイヤの跡をつけないように、近くまでロケ車で行って、後はえんえんと撮影機材を担いで現場まで向かうことにしています」と、その気遣いの一端を披露する。
ロケ現場の見学は、残念ながら難しいよう。「治安の問題や、安全に快適に見ていただく場所を確保したり、説明用のスタッフを配備したりする余裕がないのです」と厳しい撮影スケジュールを強調する。
地球の反対側までスタッフ二十人、俳優二十人を派遣するだけでも大仕事。人員的にも、時間的にもギリギリのようだ。ただし、「日本で検討してみます」との回答し、希望は残した。
移民にとって思い出深い情景の一つ、神戸港の出港シーンと、サントスの上陸シーンはどう描かれるのか?
佐藤さんは「神戸出港シーンをどうするかは、まだ決定していません。七十年前とは、あまりにも風景が違ってしまっています」と返答する。また、「当時、移民船として使われていた船を世界中捜しましたが、残念ながら残っていませんでした」とも。
その結果、コンピューター・グラフィックの先端技術を駆使したハイテク映像で、郷愁の場面を人工的に再現する方向で打ち合わせが進んでいるという。
サントスの上陸シーンに関しても、「サントスでの撮影は行いません」とのこと。日本国内で再現シーンを作るそうだ。「ただ、サントスのケーブルカーのある展望台から、街の景観や、霧に煙る山並みなどは撮影するでしょう」。
リメイラでは、ある農園を借りて撮影。主人公家族が最初のコーヒー農園から逃げて、アメリカ人地主の農場へ移る。その農場シーンをリメイラのある農場を借りて撮影するそう。
マイリポランでは、古い街並みを撮影する。農場や移住地から出て街で買い物したりするシーンが撮影される。
アチバイアでは、主人公一家が戦後、菊栽培を始める設定になっているので、そのロケを行う。
ブラジルと日本との撮影の分量は、「日本半分、ブラジル半分の想いで、私たちはシナリオを作ってます」。ただし、「演技の関係で、実際の時間配分は撮影してみなくては分りません」とも。
ブラジルロケは五月二十日から七月十二日の予定で、一回限り。