3月26日(金)
「中沢会長に舐められたままでは県連はコロニアの恥。私は対抗シャッパを出すことを宣言する」
今年二月末の代表者会議で、公然と「中沢降ろし」を明言した二世の林アンドレー愛知県人会長。この宣言により、今回の役員選挙は事実上、「中沢対吉加江」の構図が固まった。
林会長の怒りは、中沢会長の発言が端緒だった。
「吉加江副会長には執行部の仕事を外れてもらっている」。今年一月ニッケイ新聞記者の取材に応じた中沢会長は、自らに執行部の人事権がないにも関わらず「吉加江外し」を示唆。一月の代表者会議で発言の有無を追及する林愛知会長に対し、中沢会長は「言っていない」と虚偽の回答をした。これが「我々は嘘を付かれた。これでは県人会員に顔向け出来ない」との林会長の発言に至っていく。
中沢会長も、昨年以来続く吉加江副会長との確執が、役員選挙に影響することは見越していた。その対策として、かつて例がない選挙管理委員会を羽田宗義元会長ら五人に依頼。一月の代表者会議で設置が認められた。顧問と相談役五人からなるこの委員会は当初、中沢会長からシャッパ作成を依頼されていた。
中沢会長の胸算用をある県連重鎮はこう語る。
「会長経験者ならば、立場上必ず自分(中沢会長)に有利なシャッパをつくってくれる、と考えたはず」
中沢会長の思惑とは裏腹に、選管委はシャッパの作成を拒否し、純然たる選挙執行機関としての役割だけを果たすと明言。十六日には中沢会長のシャッパのみを受理した。
選管委は元々、中沢会長と吉加江副会長が、お互いのシャッパを提出し、最高決議機関である定期総会の場で堂々と競う合うべき、との意向を示していた。
締め切り前に網野顧問は「二つのシャッパを出して、それぞれのマニフェスト(公約)を示せばいい。ただ、選挙が終わったら一枚岩になるのが不可欠」と民主的な選挙を望んでいた。
ただ、結果的に吉加江副会長は支持者をまとめきれず、シャッパ提出を諦める。十四人にははるか及ばない九人の支持、しかもほとんどが同じ二世会長からの支持という状況について、吉加江副会長は翌日の記者会見で「二世だけで固めたかったわけでない。一世にも声を掛けたが理解を得られなかった」と釈明した。
何故、一世会長の支持が得られなかったかーー吉加江副会長が、これまで見せたリーダーとしての資質不足が、こうした結果につながったことは間違いない。
「あなたの質問は間違っている」「いいですか、私が言いたいのはですね」ーーあたかも教壇上で、生徒を頭越しに指導する教師のごとく振る舞い続けた吉加江副会長。本来は会長を補佐する立場にも関わらず、会長を叱責したり、会長らの発言を遮って、自らの主張を二十分近くも独演したりする吉加江副会長は、まだまだ一世が中心の県連では受け入れられない。
それでは中沢会長が全面的に支持を集めているかーーこの問いも「ノン」だ。 確かに遠いアチバイア市から、会長職に精を出し、財源の少ない県連に「日本祭り」という活路を見いだそうと尽力する意欲は否定できない事実。ただ、組織の長に不可欠な度量が余りにもなさすぎる。「吉加江外し」を口走ったのも、そうした態度の現れだ。
吉加江副会長同様、中沢会長もシャッパ作りには苦労した。十四人は揃えたものの事実上の「幽霊会長」や「私は名前だけの会長」と公言する人物を無理やりかき集め、シャッパに含んだ感は否めない。しかも二世はわずかに一人だ。
揚げ句の醜態が、二十四日に選管委が公表した大分県人会長のシャッパ辞退。補欠を提出していたため、前代未聞のシャッパ無効という事態は避けられたが、県連の日系社会での権威は日々失墜しつつある。
中沢会長には「もう少し二世を入れてくれていれば」、吉加江副会長には「一世が築いたものをもう少し大切に」と記者会見で諭した西谷前会長。
「雨降って地固まる」を願う県連重鎮の心からの言葉も、中沢会長と吉加江副会長には届かなかった。
ハッキリ言おう。百周年を目前に日本とのパイプ役として重役を担うべき県連にこの両者以外の人材はいないのか、と。二十六日の定期総会は県連が「賢人会」の集合体かどうかを見せ付ける絶好の機会となる。
(終わり、下薗昌記記者)