3月30日(火)
ガウーショとYOSAKOI・ソーラン―。一見、共通点の無い二つの切り口から、ブラジル文化を研究している女性がいる。渡会環(二九、千葉県出身)は、昨年五月から今年の三月を目処にJSPS(日本学術振興会)のサンパウロ海外連絡研究員として滞在。上智大学大学院・外国語学研究科地域研究専攻博士後期課程に在籍し「リオ・グランデ・ド・スル州民のリージョナル・アイデンティティ」をテーマに研究中だ。最近では、サンパウロ市で出会った「YOSAKOI・ソーラン」にも興味を持ち、新たな研究の切り口として注目している。「目の前の研究を積み重ねていって、結果的に研究家になれれば」というのが現在の心情。
昨年七月二十日に開催された祭りでYOSAKOIと出会った。それまで、ソーラン節のみしか知らなかった渡会は「煌びやかな衣装と激しいリズムに引き寄せられた」と言う。研究の視点から、渡会はYOSAKOIに関して二つ興味を持った。一つは、この祭りが日系社会の活性化につながり、どのように日系社会のアイデンティティ形成と関わって行くか。YOSAKOIに、どのようにブラジル的なものが入っていくのか、だ。
知人の紹介で同祭組織委員会の飯島秀昭委員長と出会い、毎月一回の会合にも顔を出すようになった。リベイロン・ピーレス、弓場農場、琉球国祭り太鼓、平成学院などの踊りも見た。その中で「日系社会の活性化を考えるなら、ブラジル化してしまうのではなく、ある程度日本文化は残していかなければと思うようになった」との見解を持つようになった。
ポルトガル語を生かして、通訳になろうと考えていた渡会は九六年、大学三年時の交換留学が一つの転機になった。ポルト・アレグレ・カトリック大学に留学中、国民文化の研究者レナ―ト・オルチスの著書に出会いブラジル文化に関心を持つ。旅行で各地を回るうちに「リオ・グランデ・ド・スル州を研究することによって、ブラジルを見なおすことが出来るのでは」と研究への思いを深めた。研究をするため、大学院に進学するのは自然の流れだった。
〇一年から〇三年まで、毎年九月のファロウ・ピーリャ・キャンプに参加。「修士では過去に注目したので、(ガウーショの)今を見たい」と考えた。同キャンプは、ガウーショ文化を伝える他は「何もしない」ものだったが、現在では観光化が進んでいる。州政府は州外、海外にもこのキャンプを知らしめようと目論む。個人の思いから始まったキャンプが「小屋」の材料へ規制を受けるなど変化がある。「この変化が(ガウーショの)アイデンティティにどのように関わっていくか見ていきたい」のが関心事。
ガウーショとYOSAKOI、ブラジルへの切り口は違うが、求める先にブラジル文化解明を模索する。ガウーショかYOSAKOIあるところに、彼女の姿を見かけることになるかもしれない。(敬称略) (佐伯祐二記者)
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