4月2日(金)
長野県人会四十五周年と第一アリアンサ入植八十周年のために、「長野から改革していく」と提言する新進政治家、作家としても有名な田中康夫〃信州県知事〃(長野県を信州県に名称変更しようと呼びかけ、自称している)が十一月に来伯する予定だ。「戦後民主主義の申し子」とも日本のマスコミに呼称される田中知事は、常に色々な話題を提供することで有名。長野県人会の石井賢治会長は、「来ていただければ本当にありがたい」と大歓迎している。
「コーヒーよりも人をつくれ」のかけ声のもと、一九二四年、信濃海外協会の幹事でもあった永田稠(しげし)日本力行会会長は、早くから移住していた輪湖俊午郎氏、北原地価造氏らと共に、移住地の土地選定・購入・入植準備をし、「一致協力・和合」の意を込めて「アリアンサ」移住地と命名した。
笠戸丸以来、大半の移住者がコーヒー農園への契約労働者として働く出稼ぎ移民であったのに対して、最初から土地を分譲し、永住定着の自作農移民を送り込んで理想的な移住地を作ろうという意欲的な試みのもと造成は進められた。
この第一アリアンサ(信濃村)に続き、一九二六年には鳥取県海外協会が第二アリアンサ、富山県海外移民協会が第三アリアンサを拓いたことからも、その優れた思想の一端が伺える。『信州人のあゆみ』(同県人会三十五周年記念)によれば、三四年にはアリアンサ全体で八百八十九家族(約三千人)もの日本人が在住し、その四分の一を長野県人が占めていたそう。
第一の田中嗣郎(じろう)会長によれば、北パラナやサンパウロへの転出や、デカセギなどの影響で人口が減り、現在は第一で百家族足らず、第三まで合わせても二百家族足らずの状態だそう。
「でも、八十周年式典は盛大に開催します。サンパウロなどからも縁者や関係者全員を招待したいと思っていますので、遠慮なく来て欲しい」と呼びかける。式典は十一月十五日(共和制施行記念日)に予定されている。詳細は田中会長(18・3708・1227)、第一ア文協(18・3708・1260)まで問い合わせを。
一方、一九三三年に矢崎節夫氏らの呼びかけで始まった「信友会」に端を発し、五九年に全伯団体として長野県人会(初代会長 宮坂国人)は発足した。
石井賢治会長は、「昨年暮れに、県知事から出席するとの連絡がありました。アリアンサへも『ぜひ行ってみたい』と言われています」との予定を明らかにした。アリアンサへ寄った時には、弓場バレエを見学したいとの意向も伝えられており、文化に理解の深い同知事ならではの行脚となりそうだ。
三日に開催される総会で支部長会議を開き、十一月十四日の式典に向けて調整することになっている。
作家としても有名で、執筆活動も盛んに行っている田中県知事だけに、来伯体験談を日本の各方面に紹介してもらえるのでは、との期待が広まっている。