4月3日(土)
黄熱病の研究などに大きな功績を残した福島県出身の医学博士、野口英世(一八七六―一九二八)の銅像がサンパウロ州カンピーナス市の公園にある。野口博士は二〇年代に研究や講演のためブラジルに滞在している。銅像は一九六七年に建立。日伯交流のシンボルとして、県人会支部(渡辺護支部長)の会員が中心となって保存活動に励んできた。これを知った福島県の佐藤栄佐久知事が先ごろ、支部に対し功労賞を授与。記念の表彰状と銀杯が届いた。
市の中心から西北へ一キロ、高台の公園に銅像は立つ。公園はもともと東山農場の所有地だった。移民五十年祭(一九五八)に「プラッサ・ドトール・ヒデヨ・ノグチ」と命名され桜や松の木が植えられた。
野口博士の来伯は、半田知雄「ブラジル日本移民・日系社会年表」にも記されている。それよると、野口博士は一九二三年十一月二十一日にリオに到着。北東伯で猛威を振るっていた黄熱病臨検のため、アメリカのロックフェラー財団によって派遣された。四ヶ月間の滞在中は主にサルバドール市のオズワルド・クルース研究所で研究。サンパウロ市でも講演した。
カンピーナス市に立ち寄った記録はないが「黄熱病の日本人博士」と、多くのブラジルの国民に称えられたのは確か。その功績を後世に残そうと福島県人会を中心に銅像の建設委員会が結成され、県側の協賛を得て建立が決まった。
日展審査員の伊藤五百亀氏が制作。博士の郷里まで史実を探る熱の入れようだったそうだ。サントス港に着いたのが一九六七年四月。委員会が台座を据え付けた。六月の落成式には福島県知事一行も出席した。
しかしその後、公園に浮浪者が公園に集い出し銅像は落書きと破損で往時の姿を失っていた。これをみた地元県人会支部と老人会が修繕に立ち上がり、月二回の清掃活動も同時に開始。 昨年県人会の小島友四郎会長が知事に働きかけ、支部への功労賞授与の話が決まった。賞状と銀の杯は三月二十七日、銅像前で会長から支部長に手渡された。
しかし支部会員の多くは七十歳以上の高齢。渡辺支部長は「年寄りに清掃活動はこたえる。地元の老人会が積極的に協力してくれているが今後保存活動を続けていけるか心配です。なんとか若い世代にも伝えたい」と話している。