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金婚記念で金メダル=パリ・マラソン=中谷迪子さん快挙=毎朝2時間走りこみ=ジョー・ソアレスも絶賛

4月17日(土)

 パリの金婚マラソンで金メダル――。そんな夢を実現させた女性がいる。サンパウロ市在住の中谷迪子さん(みちこ、七一、二世)は、四日に開催された第二十八回パリ・マラソン(七〇~七九歳カテゴリー)で、見事金メダルを獲得した。「金婚式をパリで、が昔からの夢でした」と語る迪子さん。金婚記念(結婚五十年)に訪れたパリで、金メダル。二重の喜びに、本場のシャンパンの味は格別だったよう。

 「三位に入ればいいなと思っていたので、びっくり。フランス語が分らないから、名前呼ばれたのは知ってたけど、まさか自分が一番だなんて気がつかなかったんです」。帰伯後、しばらくして主催団体から認定状が送られてきて、初めて分った。「なんだか、自分じゃないような感じです」と喜びを表わす。
 同マラソンには、世界各国から約三万三千人が参加。七〇~七九歳カテゴリーには十八人いたが、四時間十五分五十二秒を記録した迪子さんが堂々の優勝。ちなみに、昨年の優勝タイムは四時間三十二分。
 「ドイツ製の新品の靴だったから、靴擦れがひどくて、思いっきり走れなかったんです」と謙遜する迪子さん。コーチを務めるワンデルレイ・デ・オリヴェイラさんは「靴擦れさえなければ、四時間十分を狙えたはず」と証言する。
 五年前からマラソンを始めた迪子さんにとって、今回は二回目のフルマラソン(四三・一九五キロ)。一回目は二〇〇〇年のニューヨーク市民マラソンで、四時間三十四分で百五十人中九位に入った。
 若い頃は裁縫仕事と家事に忙殺された。まったくのスポーツ音痴だった迪子さんは十八年前、足が痛いのを直そうとラジオ体操を始めた。プラッサ・ダ・アルボレのラジオ体操(森幸一会長)に毎朝通った。足の痛みが消えたので、十五年前からジョギングをするようになった。
 そんな頃、父親が亡くなり、初七日に父親の友人と「農大時代にもらった金メダルがあるはず」という話になったが、同居していた迪子さんの弟は「そんなのはない」。それを聞いた迪子さんは「ないなら私が取る」と宣言し、マラソンを始めた。
 現在、毎朝六時からイビラプエラ競技場で練習をしている。三十分間の柔軟体操の後は、二時間たっぷり走りこむ。休みは金、日曜のみ。平均して週六十キロを走る。加えて、筋肉トレーニング、水中体操、水泳の練習も欠かさない。今回のパリ大会前には三十キロを二回、山道二十キロも何回もこなした。
 同コーチは「二十、三十代の若い女性の平均記録は四時間半。ドナ・ミチコはそれより早い。すばらしいこと」と礼賛する。すでにジョルナル・ナショナル、グローボ・エスポルチ、ジョー・ソアレスなどの番組でも扱われた。「特にジョーはミチコの話に感動して泣いていたよ。その様子が昨年末にも再放送されていた」。
 すでに来年八月にスペイン・バルセロナで行われる世界陸上大会に、気持ちの照準を合わせている。クロスカントリー十五キロ、競歩十キロ、ハーフマラソンの新種目に挑戦する。「来年は最初から一番を狙います」とたくましい。
 「主人には八十歳までマラソンがんばりなさい、と言われてます」と迪子さん。夢のパリで、金婚マラソンし金メダル。オリヴェイラさんは「四十二キロ走りぬくより、結婚五十年の方がよっぽど難しい」と、人生の先達である教え子の偉業を称えた。