4月23日(金)
「二世は文化的には、ニッポン人でもなく、ブラジル人でもなく、合いの子すなわち、メスチッソにほかならない」(原文のまま)
アンドウは二世の人間像をそう、捉えた。
日本人の子供である二世は、生まれた瞬間から日本的な生活様式や文化を身に付けていく。グルーポ(小学校)に通うようになって、教諭や非日系の友人からブラジル的な価値観、態度のようなものを学ぶ。
卒業後、ブラジル人社会で働いたり、進学する二世はますます同化が進んでいくが、植民地に戻って農業を営むものは日本的な色彩の濃い性格になる。人間像を日伯どちらかに断言できないところに、二世の特殊性があるのだ。
アンドウは「日伯文化がちょうど半々に身に付いているものでニッポン語もポルトガル語も自由に話し、さらにどちらも読みかきできること」が理想の姿だと考えた。
つまり、ブラジル、日系コロニアのいずれの社会でも劣等感なく、生活を送れるということだ。
「立派なブラジル人になること」が目標。そこから、母国語はポルトガル語、日本語は外国語だという発想が生まれ、コロニア向け教科書の作成につながっていく。
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日常生活に関連が薄いとして、日本の国語教科書(尋常小学校国語を含む)を採用することを批判。「二世が習いやすく、効果のあがる教科書をコロニアで作製されることが必要だ」(原文のまま)と訴えた。
生活に密着した題材、ブラジルの国語読本からの翻訳をバランスよく盛り込んだものが適当で、コロニアについても取り上げるべきだとした。
到達レベルは日本の四年生修了程度。「初等教育では、文章を書くことと話すことに重点を置き、漢字は四百~五百に留めてよいだろう」と編集方針を示す。
もちろん、これだけやっただけでは日本の書籍や雑誌を読みこなすだけの力はつかず、日本文化の理解が望めないと懸念される。
「分かりやすいポルトガル語でニッポンの歴史、地理、文学その他の文化を紹介した本をいろいろ出版すれば、その目的は達せられる」
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だが、大きな足かせがあった。外国語教育令の存在だ。戦前から引き続いて十四歳以下の子供に対する外国語教授は禁止。日本語学校に通う生徒は大半が四年生までだったので、非合法経営の学校はかなりの数に上った。
宮尾進サンパウロ人文科学研究所元所長は「陰でこそこそ教えることになるから、子供たち自身が、何か罪悪感のようなものを感じていた」と語る。
アンドウは同法の改正を強く望んだが、実現までに時間がかかるものだと認識。その上で、法令の存否にかかわらず、二世用教科書の編集は不可欠だと強調した。
「たとえ公認されている学校でもニッポンの国語教科書はブラジル政府の認定しないものだから、これを公然と使うことができず、視学の目をごまかすような苦しい方法でこっそり使用されているので、教科書だけでも公然と使用されるものがほしいとは、すべての日語学校教師が切望していることである」
一部敬称略。つづく。
(古杉征己記者)