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この道57年!=「死ぬまでやる」=ヴィアジャンテ大好き=水口さん82歳の現役=いま自動車部品販売

4月29日(木)

 七~十日間、地方で行商して歩き、二~三日自宅で休むとまた旅に出る。八十歳を越えても、ヴィアジャンテの生活が大好き。紫煙をくゆらせながら、この道五十七年のベテランが口を開いた。
 水口博さんは一九二二年、愛媛県生まれ。二七年に両親、家族六人でブラジルに渡った。カフェランジャ(SP)のコーヒー園などを経てバストスに移転。太平洋戦争を挟んだ十年を過ごした。
 勤務先の雑貨店が破産。四七年に旧遠藤商会と契約して、学用品や書籍、雑誌などを売り歩いた。四九年に自家用車を手に入れ、もっぱら車で地方を回った。
 ヴィアジャンテになった動機は「もちろん、食っていくため」。収入を増やすため五~六社、掛け持ちで働いた。
 一カ月の三分の二は家を空ける。妻も「それを承知で一緒になった」。だから、愚痴は言わなかったそう。結婚後はアラサツーバに移転。ここでホテル業に乗り出すが、経営はすべて、妻に任せ、自身は行商に出た。
 サンパウロに移って今年が三十三年目。今は自動車部品の販売を主に手掛ける。子供たちも立派に成長、自身も年金を受ける年齢だ。「小遣いになりますから」とさらり。
 実は昨年、足の血管に血が通わなくなって十カ月間、休んでいる。家族からは、「もう、仕事をやめたら」と気を使う。本人には、その気がない様子。「あちこちに、友人がいるんです。だから、死ぬまでやるつもりです」。
 第四十六回ノロエステ将棋王将戦大会が二十四日、アラサツーバで開かれた。サンパウロから八人が自動車二台に分乗して会場に向かった。
 往復約八百キロを一人で、運転。足の回復具合を確かめた。「さあ、来月から、仕事だ!」。