5月5日(水)
今、コロニアで一押しの教科書といったら、おそらく『きそにほんご』だろう。
一九九五年一月に第一巻の初版千冊が発売された。同年三月までに売り切れ。現在七版目に入った。毎年、千二百冊が売れ、好調を維持する。
編集者はプレジデンテ・プルデンテ市(SP)在住の橿本洋子さん(六三、山西省出身)。
当地の日本移民の歴史は古く、世代交代も早い時期に訪れた。少子化の影響もあって、九〇年代初めに学習者の減少を肌で感じた。
「このままだと、日本語教育は廃れてしまう」との危機感から、私財を投じて自費出版した。
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橿本さんは七五年に渡伯。七九年に日本語を教え始めた。現地では、国語教育が主流をなしていた。日本で中学校教諭の経験があったこともあり、特に、疑問も持たず、教壇に立った。
しかし、「いくらやっても、生徒が全然覚えない」。そんな悩みが日毎に大きくなった。
読み書き中心の教え方ではダメだと思い、カリキュラムを大きく変更。文型積み上げの練習を取り入れることにした。「参考に出来るようなテキストがまだ、コロニアに存在していなかった」ので、手探りでプリントをつくった。
「英語を勉強するみたいに、〃This is a pen〃から入ったんです」。だが、発想の転換に対して、周囲から「あの先生、なんか変なことをしている」と揶揄されたこともあったという。
八三年に日本に研修に向かい、日本語教育の最前線を見学。「自分の路線に誤りはない」と自信を深めた。
その後、プリントは手書きからワープロに。挿絵をふんだんに取り込むことが出来、「生徒も張り切って勉強するようになった」。
全伯の教師研修会で自作の教材を受講者に披露したところ、好評を得た。日本から派遣された専門家も評価、出版を決意した。
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最新式のワープロを手に入れるために訪日。百万円を使って、本体やスキャナーなどをそろえた。旧式で打つと、ドットが粗くなって印字が汚くなるおそれがあったからだ。
「主人の協力があったからこそ出来たことなんです」と頭を下げる。印刷費も「新車一台分ぐらい」と一般市民にはばかにできない額だった。
売行きは幸い、予想をはるかに上回ることになり、ファンレターも届いた。教師たちの声援に支えられて、全八巻のうち既に、七巻まで刊行した。
「在庫を残しておかないといけないから、家の中は書籍で埋っています」とうれしい悲鳴を上げる。
「大人は理論的な説明を求めてくるでしょう。それに答えられなかったら、なんだ知らないんだということになって…。何度も、月謝を返そうと思いました」と橿本さん。
日本語学校を閉めようと真剣に考えたこともあった。『きそにほんご』は、様々な現場の葛藤がひとつの形になったもので、多くの反響を呼んだ。
現在、八巻目を執筆中。「中級は、(学習者が初級に比べて少ないので)採算が合わないのですが」と漏らす。が、表情には、シリーズ完結に向けた意志の固さが表れた。つづく。 (古杉征己記者)