5月8日(土)
E紙=ネイデさんとご主人は彼がレーサーの道を選ぶのに反対したと聞きましたが、本当ですか?
ネ=一部は事実です。息子をカートの世界に入れたのは主人。結婚前、男の子が生まれたらカートを造ってやろうとよく言っていました(セナの父は金属加工工場の所有者)。最初のカートはアイルトンが二歳の時、ミウトン(父)が造りました。エンジンはついていなかったけど。三歳の時には友人からもらったエンジンをつけた二台目のカートをプレゼントしました。その頃、アイルトンはカート工場でよく遊んでいた。四歳になると川沿いでカートを走らせた。ミウトンがよく連れて行ったわ。父親がカートを勧めたのよ。
E紙=支持はF1レーサーになるまで続いた…。
ネ=説明します。一九七八年のカート世界大会の後、アイルトンはイギリスへ行き、シッコ・セーラ(イギリスのFフォード1600の優勝者。ブラジル人)を訪問しました。セーラはアイルトンをチームに紹介。帰国した息子はFフォードで走りたいと言い出したんです。わたしたちは反対しましたけど、言い出したら聞かないので仕方なく認めました。イギリスに一年滞在し、その間に結婚もしましたがすぐ別れました。年末、優勝したアイルトンをブラジルに連れ戻しました。あの頃は本当に辛かった。日曜日には、レースの後に息子の電話がかかってくるのを心待ちにしていた。そのうち、電話をかけてくるのが遅れた時は、レースに負けた日だと分かりました。
E紙=反対されてもカーレースの道を選んだ…。
ネ=わたしたちはイギリスで、カーレースの道には向いていない、家に帰れば数多くのメリットがあると息子を説得しました。彼はレースをあきらめ、ミウトンとともに数カ月間仕事をしました。でも、いつもの生き生きとしたアイルトンではなくなり、同時にイギリスからレースの勧誘電話が絶えなかった。わたしとミウトンは結局折れ、レーサーの道を選ぶことを認めたんです。彼はFフォード2000、F3と突き進み、その後は皆さんもご存知の通り。(笑)わたしたちはただ見守るしかなかった。彼の人生だもの。アイルトンには自分の思い通りにさせたかった。
E紙=一時期通学をやめたんですよね?
ネ=一九七八年九月にカート世界大会に参加したいから、学校を一時期休みたいと言いました。わたしたちは反対したけれど、アイルトンはあきらめずに幾度も説得した。そこで、休んで落第しなくてすむように、年末前にいい成績をとることができたならレースに出場してもいいと言いました。責任感の強い彼は約束を守り、わたしたちはレース出場を認めました(この大会ではセナは準優勝)。