教科書 時代を映して変遷(20)=〝応急処置〟的な役割=デカセギ向けに会話ブック
5月12日(水)
父祖の国で生活に困らないように――。
日本での人手不足を背景に八〇年代半ばから、デカセギブームが起こる。ブラジルでは高インフレが続き、それに拍車を掛けた。さらに、入管法の改正(一九九〇)で日系人は定住ビザを取得できるようになり、訪日就労者数は爆発的に増えた。
国外就労者情報援護センター(=CIATE、二宮正人理事長)によると、在日ブラジル人は九一年に十一万九千三百三十三人だった。九六年に二十万人を突破。〇二年に二十六万八千三百三十二人に達した。
戦前・戦後を通じてブラジルに渡った日本人とほぼ同数の日系人が滞日していることになる。
ペルー、アルゼンチン、パラグアイ、ボリヴィアの日系社会でも同様の現象が発生。南米出身者は〇二年で計三十三万三百三十八人に上る。
デカセギは「DEKASSEGUI」というポルトガル語にもなり、余波は日本語教育界にも及ぶことになった。
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「あと二~三カ月で日本に働きにいくので、日本語を勉強したい」――。
日伯文化連盟(=アリアンサ、槙尾照夫会長)では八〇年代後半、短期集中で日本語を身に付けたいという入学希望者が後を絶たなかったという。
工場や弁当屋など就職先が異なるので、初めのうちは個別授業でその場を凌いでいた。組織として、見過ごせない問題に発展。デカセギ向けテキストの開発が望まれるようになった。
旧仁恕学院の共同経営者で、アリアンサの講師でもあった栗原渡辺章子さん、白井彬邦さん、土屋アリッセさんの三人がその需要に目をつけて九一年に、『KAIWABOOK ブラジル人のための会話ブック』を発刊した。
「日本人は名前を呼ばれたら『はい』と返事をしますが、ブラジルではそういう習慣はありませんし、玄関で靴も脱ぎません。こんなことくらい知っていたら、日本人との摩擦は起きないだろうという基準でスキットを選んでみました。言ってみれば、お守りみたいなものです」
栗原さん(日文連講師)はそう、編集方針を語る。三人はいずれも留学などで日本に居住した経験を持ち、苦い体験の一部が教科書に反映された。
買物、乗り物、病気、会社、銀行など二十一の場面を設定。日本の生活習慣が分かるように説明を入れた。ポルトガル語の対訳とローマ字表記がつくほか、関連語句も盛り込んだ。
さらに、自動預金支払機(ATM)や自動切符販売機の使い方、郵便物の送り状の書き方などが図解入りで詳述されている。
もちろん、基礎からみっちりと日本語を学習するには、不向きだ。だが、勉強不足のデカセギにとって、〃応急処置〃的な役割を十分果たした。
仁恕学院はその後、経営不振となり閉校。書籍の版権はアリアンサに移転した。グアルーリョス空港内の書店でも販売されていたので、多くのデカセギが出国前に手にしていたという。つづく。 (古杉征己記者)
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