5月19日(水)
文協日本語学校を現地校に移行──。
サンパウロから北西に約百キロのインダイアトゥーバ市。中心街から自動車で十分ほどの距離に、同市日伯文化体育協会(安部誠会長)がスポーツセンターを所有している。
三・九ヘクタールの敷地内には野球場、プール、テニスコートなどがそろう。その一角に、今、学校が建設中で、竣工後に同協会の日本語学校が移転してくる予定だ。
一部関係者の間で、現地校に切り替える構想が浮上。市から認可が下りるように、校舎の設計にも余念がない。
新国良二元会長は自信を持って、こう動機を説明する。
「日本からの移住者はもう、来ないし、日本語を使う家庭も少なくなった。それで、日本語学校は採算が採れなくなったんです。現地校にすれば生徒も増えるし、地域貢献だって出来ます」
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インダイアトゥーバはかつて、トマト栽培で栄えた。トヨタが生産工場を持つことでもよく知られる。 八〇年代より世代交代が顕著化。日系社会の在り方について、地元有識者たちが議論を戦わせ、結論が二〇〇一年の定款改正に集約された。
「日本人会は学校を経営すること」。日本語教育が義務づけられることになったのだ。新国元会長は「これで、文協が娯楽クラブに変わることは、絶対にありません」と断言する。
日本語学校はもともと、父兄会による経営だった。教師が保護者の顔色をうかがいながら、教壇に立つことになってしまった。さらに、一般の協力も取り付けにくく、「自分の子の面倒は自分で見なさい」といった声も聞かれた。
そのため、〇一年に運営協議会を設置。理事会直轄の特別機関とした。理事長、総務、会計など六人によって構成される。任期は二年で同じ役職に継続して就くことは出来ない。
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「インダイアトゥーバに行きなさい」。ブラジルで最先端をいく学校を各方面で尋ねたら、そんなアドヴァイスを多くもらった。国際協力機構(JICA)、国際交流基金、ノロエステ日本語普及会などが最近、視察に訪れたという。
評判の学校をコーディネートするのは、向井エリーザさん(二世、四〇)。州立校の数学教諭でもある。
同校の卒業生で日本語に堪能だということから、九四年に助手として入った。九六年に一旦、退職。教師養成講座などを受講した後、九八年に学校に戻ってきた。〇〇年に授業形態を複式から単式(一斉授業)に切り替え、新風を巻き起こした。
ブラジル学校の学年に合わせて幼稚園から中級までの十クラスを想定(夜間を除く)。もちろん、小人数や生徒数がゼロになるクラスも出る。
だが、向井さんは「単式ほうが効果が上がることは実証されています」ときっぱり。視線の先には、現地校への移行があるようだ。
教師は四人。青年ボランティアを除いて現地採用の三人はすべて、労働手帳に登録済み。経営は楽ではないが、文協が赤字を補填している。「向井さんの熱意には頭が下がります」と運営側は敬意を表す。
州立校の仕事の関係で、近いうちにコーディネーターを退き、授業だけを受け持つことになりそう。「定年退職したら、つきっきりで学校をみていきたい」。向井さんは、そう将来の夢を語った。つづく。(古杉征己記者)