5月28日(金)
平成十六年春の受勲伝達式が二十六日午後三時から、サンパウロ総領事公邸で行われた。同管内の邦人叙勲者は長田榮治(八五)、高潔(八一)、沖野郁夫(八二)、外国人叙勲者は大原毅(六八)の四氏で、この日、石田仁宏総領事から直接、勲章、勲記が手渡された。また午後七時三十分から、ブラジル日本文化協会貴賓室に会場を移し祝賀会があり、招待客三百人でにぎわった。
高さんは福岡県出身。構成家族として十一歳で渡伯した。オザスコ市在住、四十年間に渡りオザスコ日伯文化体育協会の副会長・会長職を務め協会発展に寄与。三重県津市との姉妹都市交流事業にも尽くした。これまでにオザスコ名誉市民章、サンパウロ市グラン・クルス章を授与している。
高さんは「オザスコに来る前は、アダマンチーナでランショネッチをやっていたが、友達から『大きな魚を釣るには、大きな川に行け』と言われてサンパウロ市の隣のオザスコでバザーを開いた。今は息子たちが継いでいるが、お陰さんで五軒のバザーをやらして貰っている。今日は雲の上に乗っているような、フワフワした最高の気分」とにこやかに語った。
ミラカツ市在住の長田さんは、沖縄県出身で三十五年に渡伯、六十八年帰化。ミラカツ文化体育協会会長として協会発展に寄与。ミラカツ市議会議員、市議長や副市長を歴任、現在はサンパウロ日伯援護協会地区委員でもある。三十五ヘクタールのバナナ園を経営。
長田さんは「私の人生はバナナ人生。バナナで生まれてバナナで死んで行きます。残りの人生は、バナナの根から、進入して成長を阻害するブロッカ病の研究に捧げます。やはり私にはバナナ以外の人生は、考えられない。また今日は天皇陛下より、勲章をいただき本当に長生きしてよかった。後進に私のつたない研究結果を残したい」と、晴れ晴れしく語った。
サンパウロ市近郊のアチバイア市で、三万羽の養鶏場を営む、広島県出身の沖野さんは三十五年に家族と共に渡伯。当時十四歳だった。アチバイア日伯文化体育協会会長として、協会の発展に寄与。サンパウロ日伯援護協会理事を十八年務め、現在は同協会の地区委員。
沖野さんは「特に功績のある訳でもない私が陛下から、勲章を戴けるのはおこがましい。残りの人生は恩返しのつもりで頑張ります」と実直に述べた。
大原さんは三五年生まれ、サンパウロ市出身。四十年間、サンパウロ総領事館顧問弁護士として、邦人援護および在外公館活動に寄与。全ブラジルふるさと創生協会会長、現在はブラジル日本文化協会の評議会長を務める。
大原さんは「勲章を貰える業績は一人では、挙げることはできない。私を支えてくれた同僚や妻に感謝している。また四十年の総領事館勤務で最も印象に残っているのは、七〇年三月十一日に、当時の大口信夫総領事が武装テロ団に拉致された時だ。四日後の十五日の解放まで泊まり込みで、州政府との対応に追われた。解放された時は、皆で抱き合って喜んだ」と、思い出を振り返った。