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コラム 樹海

 もう一度「戦前最後の移民船」と「戦前最後の貨物船」について書く。最後の移民船『ぶえのすあいれす丸』に乗ってきた移民、当時十九歳だった麻生秋夫さん(八二、サンパウロ)が過日来社した▼同船がパナマのバルボア港に着いたとき、日本船に対する封鎖が決まっており、船長は「マゼラン海峡を通る。危険だが承知してくれるか」と家長集会で了解を求めたそうだ。給水は、南下してチリの港で人道上の支援ということで受け、四一年八月十二日、サントスに入港できた。同船が日本向け出港したのは、二日後の十四日。たいへんなあわただしさだ▼最後の貨物船については、移民史料館の前の運営委員長、二宮正人さんからきいた。二宮さんは、日米開戦前後の歴史、社会状況に興味を持ち、研究している。日本人が日本政府発行の旅券を持てず、中立国の恩恵をこうむった具体的な例として、そうした旅券を史料館に展示中だ▼さて、貨物船は『東亜丸』だった。開戦を知らずミッドウェイ付近を通過し横浜に着いた船。欧州経由で日本へ帰国できなくなった人たちが、ドイツ人を含めどっとリオに集まり乗った▼二宮さんが紹介してくれた石射猪太郎氏(戦前最後の駐伯日本大使)の著書によると、同船にはブラジル税関の〃お目こぼし〃で水晶、マンガンなど輸出禁制の軍需物資が喫水近くまで積み込まれていた▼日伯関係はそんなに悪くなかったのだ。今もそれは変わっていない。経済交流は冷え込んでいるが。(神)

04/05/28