ホーム | 日系社会ニュース | 「もちつもたれつ」45年=バルゼア・アレグレ植民地=記念式典に300人集う=マ州の「過疎地」変えた養鶏

「もちつもたれつ」45年=バルゼア・アレグレ植民地=記念式典に300人集う=マ州の「過疎地」変えた養鶏

6月1日(火)

 マット・グロッソ州カンポ・グランデ市近郊の日本人植民地バルゼア・アレグレで二十二日、入植四十五年を祝う式典と夕食会が開かれた。かつてバルゼア・アレグレに住んでいた初期入植者らも招待され、会場の日本人会(坂井正義会長)会館には約三百人が集まった。記念式典では、七十歳以上の十六人に記念品が、八十歳以上の九人には、記念品と感謝状が贈られた。夕食会では歌、踊り、太鼓など地元日系人による余興があり拍手と喝采が鳴り響いた。
 演芸のハイライトのひとつは、地元日本語学校の生徒による劇「移住地四十五年の歩み」だった。
 「雨が降ったらいいのになー」。子供がため息交じりに言う。かつての入植者の切なる願いを代弁したものだ。
 「農作物がふんだんに取れると山口県の役人に言われ来てはみたが、雨も思うように降らず、開拓して二、三年は何も収穫することが出来なかった」と、坂井会長は移住当時を偲ぶ。
 一九五九年五月十五日、九家族が入植を開始。八〇年まで電気は不通。それまでは、自家発電だった。日本人会は七八年に発足。初代会長は、終戦を知らずに、フィリピンのルバング島で一九七四年まで「任務」を遂行していた、小野田寛郎さんだ。
 小野田さんは四期八年会長を務め、現在の坂井さんは五代目となる。九世帯で始まったバルゼア・アレグレの植民地だが、七四年に現在の日本人会館が出来るころには四十世帯に増え、現在は四十四世帯(一世約七十人、二世・三世約百五十人)を数える。
 〃雨降らず〃の土地での農業に見切りをつけた入植者たちは養鶏の道へ。現在、入植地で飼育される鶏は四十二万羽にも達する。ほか産業では柑橘栽培、牧畜などに着目、それぞれが「乾いた大地」での活路を切り開いてきた。
 「今日のバルゼア・アレグレは、先人の奮闘によるものだ」と、坂井会長はあいさつで先人に対し感謝。式典・夕食会の最後には、バルゼア音頭が歌われた。音頭は入植二十周年の際、入植先駆者で日本人会二代目会長の金崎九郎さんが作詞。後に、金崎さんの友人で、作曲家の兼清健吾さんが曲を付けたもの。
 「もちつ、もたれつ身をゆだね みんな力を合わせて 合わせて 合わせて行こう」――。参加者は声を合わせ歌い、大きな拍手がいつまでも途絶えることがなかった。