6月10日(木)
自分の足の下に三千人が埋まっているなんて、信じられない――。9・11NY大規模テロの約一ヵ月後、アメリカ人以外では唯一、世界貿易センタービル崩落現場に足を踏み入れた消防士ボランティアグループの呼びかけ人、志澤公一さん(39、神奈川県在住)は唖然としたという。ブラジルの友人を訪ねて八日初来聖し、十二日まで消防隊訪問や観光をしてまわっている。
物心つく六歳頃から「消防士になりたい」と思い、十九歳の時に希望をかなえた。交通事故、洪水、火災など仕事柄、いろいろな修羅場を経験し、何度も命拾いをするような人生を歩んできた志澤さんだったが、ニューヨークの崩落現場では足がすくんだという。
「肉片、指、耳とか、バラバラの骨とかが散乱していました」。そこはアメリカ人の聖域だった。アメリカ政府は各国からの、テロ現場での公的な救援活動の打診を全て断った。イギリス、イタリア、フランス、スペインなどの最新鋭の救援レスキュー隊は、崩落現場の外の活動に限定された。
そんな厳戒態勢の聖域に、日本人消防士十一人が入った。志澤さんはその呼びかけ人だった。「NY消防隊の友人から、『助けてくれ!』とSOSメールが届いたんですよ。それでボランティアで行く奴を集めて、馳せ参じました」。志澤さんは一九九五年から世界中の警察や消防が専門技術や体力を競う「世界警察消防競技大会」に参加しており、それを通じて世界中の消防士に友達がいた。その友人の一人からの支援要請だった。
「お互いの自宅に遊びにいったりしていたアメリカ人消防士の友達の何人かは、ビル崩落の時に死にました」。志澤さんを呼んだNY消防隊の仲間は上官を説得し、三日間、救助活動を手伝った。「到着したら、すっごい歓迎されましたよ」。山のような瓦礫を取り除き、生存者を探す仕事だ。
「周り一帯が全部壊れているので、まるで映画のセットに入ったかのようでした」と当時を振り返る。「いつもは陽気な彼らが、まったくしゃべらない。黙々と瓦礫を取り除いている様をみて、あのテロが彼らに与えたショックの大きさを感じました」。そして友人らの葬儀にも参列した。
志澤さんは現在、横浜市消防局の旭消防署ではしご車の運転手をしている。二十年勤続の恩典として長期休暇をもらい、今回の旅行でブラジル人の友人、ヴィラ・マリア区消防隊のフラヴィオ・ヴィセンチ・デ・ソウザさんを尋ねた。消防仲間を訪問し、サンパウロ市の観光などをするそう。