6月12日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙六日】一介のパステイス売りから億万長者にのし上った人物!現在、連邦警察に捕えられ取調べを受けている〃密輸王〃(連警内でこう呼ばれている)ことロウ・キン・チョン容疑者(四三)の半生が明らかにされた。同容疑者は自身の近辺を調査していたCPI(国会特別調査委員会)の委員長に百五十万ドルの贈賄工作をした疑いで逮捕された。
ロウ容疑者は国内で買い物客の人通りの最も多いヴィンテ・シンコ・デ・マルソ通りにショッピング・センターを含む二千余の不動産を有し、月収は五千万レアルと目されている。全国的に安価で知られるパジェー・ビルを始めとするショッピング・センターを三つ有し(さらに二つ建設中)、市内中心部プレステス・マイア通りとセナドール・ケイロス通りの角に、二十五階建てで六百四十台を収容する駐車場を有している。ビルや商店内はボックス型に区分けされ賃貸しされている。賃貸料は大きさや場所により異なるが、毎月三百ドルから千ドル。これを管理する従業員二千人(ほとんどが中国人)を抱えている。これにより、この近辺の商店をほとんど傘下に置いていることから「ヴィンテ・シンコ・デ・マルソ通りのドン」と呼ばれている。自宅はモルンビー高級住宅街のジョルジ・ジョアン・サアジ通り五八四番地で、車庫には五台の高級輸入車が入っている。庭には防犯カメラの他、二頭のフィラ犬が放し飼いにされている。家族は四人。
同容疑者は三歳の時に四人の兄弟と共に両親に連れられ中国から渡伯した。二十歳の時サンパウロ市で、商品のヤミ販売をしていた所を逮捕された。これを機にパラグァイに移転したが、数年後にサンパウロ市に戻った。この折にパラグァイから持ち帰った商品を売りさばいたのが密輸の始まりだと連警は指摘している。その後ウダツが上らずパリ区でパステイス売りをして生計をたてていた。
転機が訪れたのは一九八〇年代の二十五歳の時で、当時パジェ・ビル(後に所有者となる)のボックスで時計やウイスキーを販売する傍ら、脱税や密輸の仕組みを修得し、悪の道に踏み込んだ。
一九九〇年に入り、成金への階段を一気にかけ昇った。バロン・デ・ドプラト通りに九階建てのビルを借り受け、ベニヤ板で幾多に仕切ってボックスを作って賃貸した。これが奏を功したことから、さらに二軒のビルを借り、同様に賃貸し、収益を上げ、近辺の不動産を買い漁った。
CPIのメデイロ委員長は、同容疑者が賃貸料だけで現在の財を築いたとは信じられないとし、これまでに押収した二百キロに上る書類からサンパウロ市の連警や警察上層部、政府高官との癒着を立証できるとしている。また、同容疑者の電話リストには六人の裁判所判事の名前があるとされている。これに対し同容疑者は、これまでの警察の取調べでこれらの人達とは親交があり、経済的援助を頼まれたら応じていたという。だが、その都度、文書を取り交わし会社の経理帳に記載していたと弁明している。
同容疑者の弁護士は「やましい事はない」と明言、「これまでに成果を挙げなかったCPIが解散を余儀なくされている。最後に打った茶番劇だ」と一笑に付している。ヤッカミ、羨望、好奇心の入り混じった今回の逮捕劇はいかにして幕を閉じるのだろうか。