6月17日(木)
高齢化はデカセギも例外ではない。八〇年代から九〇年代初めにかけて日本に渡り、そのまま定住するデキセギの中に年金受給年齢の六十歳に達する人が現われ始めている。十二日付インターナショナル・プレス紙はそうした状況に合わせ、デカセギ高齢者を特別雇用する動きも見られ出したと報じている。
静岡県三島市。日産自動車向けの自動車部品製造業、ウスイ国際産業はこのたび、二十五人の外国人高齢者を受け入るセクションを新設した。アイデアのイニシアチブをとったのは人材派遣会社マルイ産業のクマノ・アキオ社長(54)。クマノ社長は語る。 「この高齢者セクションへの派遣については仲介量も低めに設定しました」
ブラジルに住んだ経験や、東京の日系人雇用サービスセンター職員だったこともあるクマノ社長は、静岡県御殿場市からの要請で、高齢者の役に立つことを決意した。
「高齢外国人失業者が増えている。大半は年金受給者だが、短期納税者のため年金額は少ない。日本に引き続き住む理由はいろいろあるようだが、ブラジルに住む家庭との絆を失ったこともその一つのようだ」。
デカセギ高齢者は日本人と違って、残りの人生を工場勤務で終えようとしている人が多いのが特徴だ。五十代から六十代は一般に責任感が強く欠勤は少ない。若者と同じくらいの生産性を兼ね備えているともいわれる。
「デカセギ高齢者の雇用は、日本にとって新しい歴史の始まりだろう」とクマノ社長はみる。
三島市のタイヤ工場でフォークリフト運転手として十五年働いたヤマモト・マサトシさん(67)は二重国籍者で、日本で年金受給者になった。
五年間の社会老齢年金を納入、二カ月毎に四万二千円の年金をもらっている。アルバイトをこなし細々と生活して行かなければならないが、もうブラジルに帰るつもりはない。
ヤマモトさんは「向こうに住んでいる家族がいるが、いまさら私から向こうの生活環境に合わすことはできない。日本経済はブラジルよりも安定しているし、ここでは、アルバイトのような仕事でも年金者が働けるチャンスは大きいから」と、その理由を打ち明ける。
デカセギの採用は四十五歳までというケースが多い中、ヤマモトさんは先のウスイ国際産業の高齢者セクションには入れなかったが、従業員送迎用バスの運転手として、採用された。
バブル期に五十万円の月給をもらっていたという、ある高齢の工員は満足げに話す。
「いま、日当八千円を稼げる仕事についている。いくらか余ります。低収入の高齢者用市営アパートに住んでおり、家賃が五千円だから」。