6月22日(火)
香川公宏さんがヨサコイに参加するのは、「ヨサコイは日本の伝統的な文化を破壊し、新しい文化の創造に挑戦している」と考えるからだ。
カストロ市は、パラナ州の南部に位置する。標高が一千メートルほどあり、とても空が近く、雲は早く流れる。市の中心部にはイアポ川が流れ、丘の上からキリスト像がせせらぎを覗く。また、昼の暑さとは対照的に朝晩の冷え込みがとても厳しい。現在人口七万人の街に、日系人は三百五十人。
カストロ連は昨年に引き続き二回連続の出場。メンバーに日系人は一人だけで、後の三十四人は全て非日系人という異色のチームだ。平均年齢は十二歳。「興味があって見に来たらおもしろそうだった」と話す子どもたちが口コミで集まった。
カストロ連では二年前からヨサコイを教えている。
ヨサコイはブラジルの子ども達にも「動きが早くておもしろい」と人気があり、教え始めてから、子ども達の数も増えた。今回は子ども達が自分で振り付けした踊りも披露する。
香川さんは、今年三月に連邦政府の認可を得て正式にカストロ連日伯文化協会(香川会長)を発足させた。「日系人の一世や文化協会は、今ブラジル社会に取り残されている。日本人がブラジルで優位性をもっていたのは過去のこと。日系社会は、もっとブラジル社会に開いて競争していかなければならない。その競争の中でよい文化が生まれ、残って行くんだ」との思いからだ。
香川さんは一九五八年八月にコチア青年として来伯。翌九月、最初の入植者八家族と共にカストロに入った草分けだ。奥さんの美代子さんは二世。カストロ連の「連」とは、香川さんの出身地、徳島県の阿波踊りチームがチーム名の最後に付けるものだ。
香川さん夫妻はカストロ文化体育協会(松田勉会長)の依頼で、日本語学校の奨学舎に通う生徒に一九八三年から阿波踊りを教えていた。
しかし、子どもの減少のため奨学舎は十年ほど前に廃校となり、それと同時に、踊りの生徒たちも日系人子弟から徐々にブラジル人子弟へと変わっていった。
それまでは市の文協会館で子ども達に踊りを教えていたのが、ブラジル人(非文協会員)が増えたため、責任の問題などから文協を使うことは出来なくなった。
ただ、香川さんにとっては、日系人子弟がいなくなることはたいした問題ではなかった。日本文化を外に発信するのは別に日系社会のためにするわけではない。というのも、「日系人の間だけじゃなく、カストロの街に日本文化を伝えたい」と思っていたからだ。
そこで、香川さん夫妻は六年前から文協ではなく、自分たちで子ども達に踊りを教えて行くことにした。もちろん無償でだ。「練習場所も定まらず、あちこちいろんなとこを使ったよ」と苦労を語る。
香川さん夫妻の活動が認められ、市が一年半前に子ども達の送迎バスを無償で出してくれるようになるまでは、自分たちで送り迎えをしていた。
もはや、文化どうこうではなく、「カストロの子ども達が楽しくなればいい」との思いになっていた。
そして、香川さん夫妻の情熱は、子ども達に「夢」を与えることになった。
ジャシエレ・デ・メーロさん(15)は、振り付けを担当、子ども達にとってリーダー的な存在だ。彼女は、六年前の当初からカストロ連で踊っている。「ダンスを始めてから、どんどんダンスに対する興味が沸いてきて、他のダンス教室にも通うようになったわ」と語る。
そして、今、彼女は夢を抱くようになった。
「夢は日本のダンスの先生になること!」。電話越しの声は、今にも跳びはねそうだった。つづく。
(米倉達也記者)
(ブラジルYOSAKOIソーラン実行委員会事務局電話番号11・287・4199)