6月23日(水)
秋晴れの下で、先人の労ねぎらう――。パラナ州開拓先没者慰霊祭が十九日、同州ローランジャ市のパラナ移民センターで行われ、州内各地から約四百人が参加。一面に広がった青空のもと、パラナの大地に眠る先人たちの労に思いを馳せながら、改めて日系社会の発展を誓った。
パラナ日伯文化連合会とパラナ文化運動連盟が来年度から合併を予定するため、二団体による共催は今年で最後。会場には三日に着任したばかりの荻生田浩次クリチーバ総領事夫妻や上野アントニオ元連議、パラナ州各地の日系団体代表らが来賓として招かれた。また、前日の十八日に同州名誉州民証を受章したばかりの、中川トミさん(97)も疲れを見せず、唯一の笠戸丸移民の存在をアピールした。
暦の上では秋の終わりとなるこの日、同センター内の屋外にある開拓先没者慰霊碑前で実施された。冒頭、萩生田総領事が「パラナをブラジル有数の農業州として発展させたのは日系人。かつて原生林が覆い尽くした地を開拓したのは、筆舌を尽くす努力だった」などと先人に敬意を表した。さらに上口誠一日文連会長、西森ルイス文運連理事長が主催者として追悼の言葉を述べた。
合わせて西森理事長はトミさんが名誉州民証を受章したことと、六月十八日がパラナ州の日系移民の日として州議会で承認されたことも報告。「パラナ州の日系社会の歴史に残る偉大な出来事」だと力を込めた。
マリンガ東本願寺国友一法開教師による読経の中、一同は焼香を上げ、祖父母や両親、友人らパラナの大地に眠る先人の霊をねぎらった。九十六年前のこの日、両親や姉妹とともにサントス港に降り立った中川さんは、車椅子姿で焼香。心を込めながら、手を合わせ、両親らの霊をねぎらった。毎年、慰霊祭には出席しているという中川さんは「昨日の授章式で疲れた」と話しながらも、両親のことを思い出すか、との問いに対しては「はい」と力強く返答した。
式典の後、同センター内の農業センターに舞台を移し、懇親会が開かれた。ここで、サンパウロ市から式典に参加したブラジル日本会議の小森広会長は、持参したプラッカを中川さんに手渡し、中川さんの長寿と名誉州民証受章を祝福した。家族や友人に囲まれた中川さんは「今でも歌が大好き」と語るように、日本とブラジル両国の民謡などを、上機嫌で歌い喜びをアピールしていた。