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コラム 樹海

 県連で先月の「移民の日」の慰霊法要をめぐって、議論があり、多数決による決定が行われた▼五十年余前、新制中学生のころ、ホームルームというのがあり、多数決は「民主的」と指導された。その前の戦時体制への物理的な反動作用とでもいうべき風潮であった。スマートに思えたものだ。ただ千篇一律で、風波なく行われてきた習慣行事を多数決で変えようとなると、ぎすぎすが生じる▼県連において一世が会員(各県人会長)の圧倒的多数を占めたころは、多数決はほとんど行われなかった。いわゆる阿吽(あうん)の呼吸で、たいていの議事はすすめられた。▼県人会は一世のものではないのか、一世が死に絶えたら県人会はない、いやそうではない、二世三世に継承させなければならない――県人会の構成員に関しては、これまでさまざま意見が述べられてきた。結局「二、三世も構成員」が定着して、母県も認めるところとなった。二世会長が誕生しても「在伯県人会」の人事とし、尊重してくれる▼さて、県人会で選任された二世の会長たちが県連の活動に参加し、ものを申す。移民の日の慰霊祭は、仏式の枠をはずそう、と提案し、先年それが通った。一世が巻き返し、妥協が行われず、行き着いたところが多数決だった▼ポルトアレグレでは、仏式、カトリック式、プロテスタント式の慰霊祭を同時刻、同会場ですでに実施している。主催者が多数決によらず合議決定したのだ。多数決はしないほうがいいのである。(神)

 04/07/09